今日の反省

2014年5月27日 (火)

申し訳ありません

前回の記事は削除させて頂きました。

コメント下さった方々、申し訳ございませんでした

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2013年7月16日 (火)

おさしづにお伺い

先日ふと気になった事が有ったのでおさしづにお伺いしました。

心を落ち着けて、余分な人間心を出さぬよう、真に神様のお心を求める気持ちで開く
必ず何か教えて下さいます。


神殿でお願いをして、手に取ったおさしづの本のページを適当に開く

しかし、全く関係無さそうなおさしづが出ました。


何か真実が足りなかったかも知れない
もう一度心を落ち着けておさしづを開いたところ、まさにそのお伺いにピッタリなおさしづが有り、その件は無事に済みました。

教えて頂いた事をお礼してその場はそれで終わったのですが、どうしても引っかかる事が有った。



それは、最初に開いた全く関係無さそうなおさしづに書いて有ったお言葉
「妬み嫉みが醜い」
というようなお言葉でした
(偶然開いてそのまま閉じてしまったため、何年何月何日のおさしづか覚えてない)
ボクはどっちかと言えば、良くも悪くも(自他共に認める)ドライな性格
嫌なことが有っても大抵の事はすぐにどうでも良くなってしまうし、空気も読むのも下手

妬みだの何だのとはほぼ無縁な性格だと自分では思っているので、全く心当たりの無いおさしづ




何故そんなお言葉が突然出てきたのか

今まで読ませて頂いた中でそのような言葉は滅多に出てくるものでもない


それだけに印象に残り、もしかしたらあれは親神様がボクに何か教えて下さっているのではないか。


あまりにも気になったのでもう一度おさしづにお伺いしてみる。



しかし、これまた全く関係無さそうなおさしづばかりが開かれる。



これは一体どういう事か

そこでふと、自分の心に目を向けてみた

毎週、月水金はボクら入り込みの者が朝づとめの後にお話をする

ボクは神様にお伺いしながらも
「これは上手く行けば今度の俺の話の番でいいネタが出来るのではないか」
「しかも、あわよくば『ほほう!藤太郎がいい話をするじゃないか』ぐらいに思われるのではないか」
こんな汚い感情が入り混じっていました

これでは神様に受け取って頂けない!


よくお詫びをし、もう一度お伺いをする

あれはきっと神様がボクに何かを教えて下さっているのだから、しっかりと受け取らせて頂かねばならない。どうか教えて下さい。



そうお願いをして、ふと、手に持っているおさしづの本(閉じた状態)に目を落とす
すると、ほんの少しだけ隙間の有るページが有った

そこを開いてみる

そこにはこのように書かれていました

さあ/\又々話し掛ける。随分々々綺麗な/\、日々綺麗な事は誰も好く。くどいくどい話せにゃ分からん。何名何人の中、万事に一つの理が欠ける。治まりた心生涯の理治めるなら十分の理、何も言う事は無い。今まではそも/\であって、見難くうて/\どうもならなんだ。年限を待ち兼ねた。秋の大祭や、春の大祭や。待ち兼ねた/\。戻る子供の真実ありゃこそ、何事も無く治まりてある。これ働き有るか無いか、思やんしてみよ。可哀想に/\どういうもので、雨が降る風が吹くと思うやろ。よう思やんしてみよ。中に綺麗なものは誰も好く、神も好く。神も好くような心なら、こりゃ障りやどうやとは無いもの。これだけ早く諭したら、十分諭しあれど、ほんのその場だけ聞いただけでは、どんならん。これが第一どんならん。これより真を定めてくれるなら、何も怖わき危なきは無い。これからよう改めてくれ。何かの事もこれから、何人々々扱い、事務所、詰所、何人頭数あろが、笑うて暮らせば、何にも妬み恨みは一つもあらせんで。よう聞き分け。


今年の年頭の記事(アホアホでいいんじゃない)にも書きましたが、ボクは役立たずです。

そして弟は間に合う人間です。


大事な用事等は弟がよく頼まれます

ボクが目の前に居るのに「○○君は?」と聞いてくる
用事を聞くと「~を頼みたい」とか言う

おい!

そんなもん俺にも出来るわ!


そして雑用等はボクが頼まれる

目の前に弟がいたってわざわざボクを探してくる
用事を聞くと「~をやって欲しい」とか言う

おい!
何も俺じゃなくても弟がそこに居たんだからそっちに頼めばいいだろ!


毎回とは言わないが大体こんな調子
それがとても嫌だった



しかし、仮に俺が大事な用事を頼まれたところできちんと出来るのか?

何かしら一つ二つ抜けてる事が多い
毎日のやるべき事も出来てない事が有ったり


そりゃ相手にしてみれば不安の残る奴に頼むよりは、きちんとこなし、しかもよく気がつく方に頼みたいだろう
雑用なんかは他の用事で忙しそうな者よりも何だか雑魚っぽい奴の方が頼みやすいだろう

それは当然の心境

でもそれが気に入らなかった




ボクは知らず知らずのうちに妬みの心を使っていたのです

ボクは間に合う人間目指してここに居るんじゃない
神様にお喜び頂けるよう
僅かながらも神様のお役に立てるよう

それが目的のはず(それすら出来ていないのですが)



いつの間にか神様に残念に思われる心遣いをしていた

きっと神様はそれを教えて下さったのでしょう



「笑うて暮らせば、何にも妬み恨みは一つもあらせんで。」
先日弟がある方とちょっとした言い争いになりました

当布教所女性陣の裏ボス的存在の人です。

多分入り込んで30年は立つと思われる大ベテラン


普段は仲がいいのですが、ちょっとした事から言い争いになり、最後には弟が折れて謝っていました。
その時に父に相談したらしく、父からの言葉は
「皆仲良くが神の望みと教えて頂いている」
とのことでした。

その言葉から反省した弟は、それ以来態度を改めたのですが

確かに兄弟同士で醜い心を使いあっていて、きっと神様はボクらに残念な想いをしておられた事かと思います。


「笑うて暮らせば、何にも妬み恨みは一つもあらせんで。」


皆が笑って陽気に、助け合い、支えあって暮らす事が出来ればきっと神様もお喜び頂けるはず


そんな風に反省しました


▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼


ここで今更本題ですが


父の影響から
ボクは何か分からない事があればこうしておさしづにお伺いしようとする
「さしづ通りにすれば間違う事は無い」

とのお言葉もある通り、どんな事もおさしづにお伺いし、それに従って通ることが大事だと思います。


しかし、周りの人達を見ていると、身上事情を見せて頂くとおさしづを開こうとする人は殆ど居ません。


先生と呼ばれる立場の人達に「お練り合い」をお願いし、「先生」もまたおさしづにお伺いする事を知らず、「勤めを増やせ」「日参しろ」それで結果が出ないと「これだけ勤めているのに何故だろう」と悩んでいます。



神様がどのような想いで理を見せて下さっているか、それを自分の考えだけでものを言っている。
ただ「助かりたい、よくなりたい」で勤めていたって何の解決にもならないのではないか

子供救けたい親神様のご守護を有り難く堪能の心で受け取らせて頂く事が大切なのではないか
そんな風に思うわけです

それは父から沢山の事を教えて頂いているからこそそう思えるのですが…




黒きは黒き赤きは赤きに連れられ





と、おさしづに有ります


人間の理を立て、人間に従う人はそのまま人間に連れられるだけです

しかし、神様の直接のお言葉であるおふでさき、おさしづに従うなら、神様が連れて通って下さいます。
常に神様を心に置いて、おさしづに従って通らせて頂くならどんな時も神様にお連れ通り頂けると教えて貰いました。

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2013年6月19日 (水)

お守り

今月16日は久しぶりにおぢばへ帰らせて頂きました。
別席者の付き添いです。


一人お守りを頂く若い子が居ましたので、一緒にお話を聞かせて頂いたのですが…

かなり心打たれました。


天理教のお守りは、普通の神社等で買ってくるような軽い物ではなく、教祖が一度お召し下された赤衣の一部を自分の為に頂く、世界にたった一つの尊いお守り。

「ちょっと買ってこようか」 などといった簡単な物ではない。

この道を教えて下さる為に想像を絶する御苦労下さり、ひながたの道をお示し下された教祖から自分の為に頂く大事な大事なお守り。
それを忘れて押し入れの中にしまったままでした。



教祖がお召し下さった大切なお守りを、これからは常に身につけておきたい。



と、改めて考え直す事が出来た日でした。

その日は別席の待ち時間中に回廊ひのきしんをさせて頂いたんだけど…






これからはおぢばに帰る機会が有ったら是非サポーターを持って行かないと膝が痛くて最後まで出来なかった(´;ω;`)




久しぶりの更新でありながら随分グダグダな内容で申し訳無いですm(_ _)m

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2013年1月11日 (金)

アホアホでいいんじゃない

ボクは役立たずです




いきなり何だ?
って思うでしょうけど

軽い謙遜だろ?
って思うでしょうけど








本当に役立たずです
   

謙遜なんかでなく、かなり真剣に






男の入り込み者がボクら兄弟を含んで3人いまして

その中で一番古いIさんが行事の段取りなどの中心だったのですが…
そのIさんは次期所長となるべく、上級教会に勤めに行くことが多いので


代わりに中心となったのが、次に古いボク

…ではなく、ボクよりはるか後に入って来た弟でした。





そうしようと決定したわけではなく、ごく自然に








お分かり頂けたでしょうか





そのくせプライドが高く、軽く扱われるのが嫌いです


誰かが弟に何かを頼むと(それくらい俺にも出来るわ)とか…







恥ずかしながらそんな人間です。










ある朝の神殿朝掃除の出来事

信者Mさんは、ほぼ毎日来てくれるけど

何だかやる気あんのか無いのかよく分からん人





そのMさんが参拝所を箒でちょこっと掃いて

まだ皆がやってる最中にも関わらず、箒を片付けてそそくさと座ろうとする。いつもの光景




俺は先生の座布団を設置しようと収納場所へ行く






箒の置いてある場所と近い


箒を片付けようと歩いて来たMさんが俺に向かって言った言葉


「はい、これ片付けて来て」



「はあっ!!?」





「いや、今これをやってますので!」(キッパリ)

更に小さい声で、でもしっかりと聞こえるように


「自分で片付けろや!」







Mさんは苦笑しながら自分で片付けに行きました。




まったく! 今までお道の教えの何を聞いてきたんだ?


Mさんじゃなくて、俺!






低く優しく柔らかく

何度もそう教えて頂きながらなんでそれが出来ない?






確かにMさんのやる気の無さはちょっと酷い

しかし、彼も最近年を重ねて、体を痛めている

それを考えたらああなるのも分からなくも無い








教祖は阿呆は神の望みと教えて下さいました

あほうが望みと仰しゃるのやで。利口のものはつけん。人が小便かけたらならば、ああぬくい雨が降ってきたのやと思って、喜んでいるのやで。人が頭を張れば、あああなたの手は痛いではございませんかと言って、その人の手をなでるのやで。




ボクは役立たずです


まともな仕事で人の役に立てないなら、せめてそれくらいは素直にさせて頂こう



その方面で役に立てればいいじゃないか!





自分の不甲斐なさに落ち込んだ時だって有ったのに、何故ここで人の役に立てるチャンスを足蹴にするんだ?

いいように使われたって構わない

バカになってアホになって自分に出来る事をさせて頂こう!




それが神様が喜んで下さるのなら









・・・・・・なぁんて、ちょっとカッコよさげな事言ってみたけど





・・・簡単には出来ないだろうな~







高慢な心が邪魔をして






とりあえずそれが目標です


て事で、今年の抱負







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デカすぎた`。*:`( ゚д゚*)ガハッ!

まぁいっかw




エキセントリックと心得違い

どっちに書こうか迷ったけど、エキセントリックはどちらかと言えば日記なんでこっちにした

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2012年4月 8日 (日)

青年会例会の話

今月の青年会例会で、終席なんて立派なものじゃ有りませんが、一番最後に話を努めさせて頂きました。

少し抵抗有りますが、その話を全文アップします。

 


毎月発行させて頂いている「○○」(名前は隠してます)で用語研究のコーナーをやらせて頂いています。一番最初に「徳」という言葉を研究したものを載せて、そのときはまだよかったんですが、二回目では「にをいがけ」で記事を書きまして、見てもらったところ不評でした。父にも見てもらったんですが、今回は載せるのは辞めた方がいいと言われ、休載する事になりました。

お道のお話を書くのに自分の考えではまともな記事など書けません。神様のお働きがあり、神様が書かせて下さるから文章が書けます。その後父から電話が有り「休み時間にもお道の勉強した方がいい」と言われました。父が言うには休憩時間は自分の時間であり、その自分の時間を自分の為ではなく、お道の御用に使わせて頂くからこそ神様が働いて下さり、お話がよく分かるのだと教えてもらいました。

最初の「徳」の用語を記事にしていたときは、まだいくらかよかったのですが、最近はすっかりお道の心が抜けてしまって、お道の勉強をさせて頂こうという気が全く起きず、因縁の心にドップリと浸かってしまい、そこから抜け出せない毎日を送っていたので、この機会にもう少しお道の勉強をさせて頂かなければと、反省しました。
お道の勉強をさせて頂くのにはやはり「おさしづ」「おふでさき」「みかぐらうた」の三つの原典が一番大切だと思います。神様の直接のお言葉です。教祖は人の口を通した分だけずれていくと教えて下さいました。しかし、おさしづを読ませて頂いても、本当に難しく、読んでてさっぱりです。

父が毎日おさしづの研究をしているそうです。実際休みの日に家に帰っても本当にパソコンの前に向かっておさしづの勉強ばかりしています。自分の事をやってる姿をあまり見ません。ボクが子供の頃、父はテレビが好きだったように思いますが、今は殆ど見てないし、酒もたばこもきっぱり辞めてしまい、毎日お道の勉強に没頭しています。
その父が言うには、おさしづの中で分からない言葉はおさしづで調べるそうです。

例えばおさしづに『神一条』と言うお言葉が出て来ます。人間的に知恵だけで考えれば意味だけは理解出来るかも知れませんが、神様のお心にある『神一条』とはどんな意味を示すのかは分かりません。

そこで『神一条』と言う言葉が出て来るおさしづを一つに纏めて読ませて頂く。すると父曰く、『神一条』の意味が解ってくるそうです。

それを聞いて自分もある程度纏めて読ませて頂いたんですが、それでもさっぱり分かりません。

でもボクの場合、分らないと思って投げ出すからダメなんですね。同じく正人がおさしづの中に出て来る『誠』というお言葉の意味を調べていて、朧げながらにも分かって来た事を教えてくれました。「ああ、なるほどな」と納得しました。ボクは読んでも分からなかったので、「俺はそういう理解力が無いからダメだな」と言いましたら、正人が言うには、自分も読んでいてさっぱり分からなかったそうです。

以前に正人は「自由自在」というお言葉を調べていまして、あの時は確かに「ダメだ、わからん」と言っていました。でも、分からないながらも読み終わった時、ふと「あ、こういう事なのか?」と自然に頭に浮かんできたそうです。確かに考えてみれば頭の良い悪いで出来る道ではないように思います。

木は水を求めて下へ下へと根っこを伸ばします。それと同じだと父から教えてもらいました。水と神とは同じ事と教えて頂きますように、低い低い心で分からないながらも神様のお心を求める事が大事だと教えてくれました。

それを実感する体験があります。いつも分からない事や迷う事が有ると、おさしづにお伺いします。おさしづの本を手にして神様にお願いをし、ぱっと開いたページを見るとそれにピッタリと合ったおさしづがあるんです。

以前はそうやって「これは神様がこう教えて下さっている」と思える事がよく有ったのですが、最近は全く関係なさそうなおさしづが開かれる事が多く、何かしっくり来ない事が続いていました。それだけ自分の心が歪んでいたのでしょうか。

父はいつもおさしづを研究して、おさしづを解釈したものを皆に配っています。それを読んでくれる人が沢山います。ボクもそれを貰うんですが、その中で特に心に残ったおさしづの一部分に

さしづのついでに尋ねに出る。ついでゝは、心胆さしづ出来ぬ。

と、あります。父の解釈によると、

【面々尋ね出る処に置いて、先ず第一に「変わった事・困った事が出来た、何を教えて下さるのか」と尋ねる。目の前の自分の都合が先ず第一であり、ついでに神の話を聞こうとする。ついででは、心を込めてさしづをしてやる事が出来ん。】

と解釈がしてあります。

困った出来事に対し、自分が助かりたいという目的を最優先にお伺いし、ついでに神様のお言葉を聞くような気持ちで尋ねる心を指しているのでは無いかと思わせて頂きます

おさしづを開いても何がなんだか分からないまま終わってしまった事が続いたと先ほど言いましたが、お伺いする時、その心はというと神様の思いを求めたいよりも、「今のこの状況を何とかしたい」とか、「自分が助かりたい」とか、そういう「自分」を優先する心が先に立ってしまっていたのではないかと思います。本当に情けない心だと思います。

おさしづの続きに


十分話、静か/\伺い尋ね、何遍尋ね。ちゃんと話し一人済んで了う。



この部分を

【真実の理が治まる為の十分の話をするなら、人間心を捨てて心を鎮め、神のさしづに伺い尋ね、納得の行くまで何遍も尋ねるなら、ちゃんとした神の話が一人で治まってしまう】

と解釈がしてあります。

今日のこの土曜集会でお話させて頂く内容を先月末あたりから考えていまして、なかなか思い付かずにいて、26日、ご本部の団参へ行かせて頂きまして、緩みきった心を引き締めてもう一度やり直させて頂きたいと教祖の前に来ましたが何も言えず、ただただ教祖の前で頭を下げていた時ふと、「あまりカッコ悪い話はしたくない」という気持ちが有った事に気付かせて頂き、そんな気持ちは捨てて神様にお喜び頂けるように努力したいと、心定めをした数日後何度も心が緩みそうになる度に神殿で神様に向かって座っていました。

その時ふと神様が何か教えて下さるような気がしておさしづを開きましたら、久しぶりに心に響くおさしづを頂きました。ちょうど今の自分の間違いを教えて下さるかのようなおさしづでした。

自分にしては珍しく、本当に真剣だった心を受け取って下さったのかも知れません。

なので皆さんもですね、何か迷っている事や、友達等に困ってる人がいる、助けてあげたい等があればおさしづにお伺いさせて頂くといいと思います。自分の為ではなく、お道の御用の為、人の為に心からお伺いすれば、その時は分からなくとも、きっといつか神様がお答えを見せて下さると思います。

自分はと言うとそんな心をずっと続けられればいいのですが、すぐに自分を庇う心、自分の都合を優先させる心ばかり使ってしまう、情けない人間心が多いです。お道の勉強をさせて頂く上で本当に邪魔な心ばかり使ってしまいます。

お道は「自分の幸せ」とか「家族の幸せ」とか、そんな信仰では無いと思います。

世界一列をたすける為に天下った

とお聞かせ下さいます。世界だすけの信仰とお聞かせ下さいます。

お道を聞かせて頂きながら、幸せになる為に信仰していらっしゃる方が数多く見られますが、神様の世界だすけの為にどれだけお役に立たせて頂けるか。それが一番の目的だと思います。

自分の埃の心を自分の力では変えることなど出来ません。また、自分でお道の為にこうさせて頂こう、ああもさせて頂こうというのは自分の考えです。そうではなく、「神様にお喜び頂きたい、神様のお役に立たせて頂きたい。」そんな少しの真実の心を神様が受け取って下さり、大きな力で支えて下さる、世界だすけに役立たせて下さる道だと教えて頂きます。常に神様を心に置いて、分からないながらも神様の思いを日々に求めさせて頂き、お役に立たせて頂けるよう努力させて頂きたいと思います。





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2011年10月 3日 (月)

しばらくお休みします。

最近記事を書くのに自分に考えで書くようになって来た。

調子がいい時は頭に自然と文章が浮かんで来て、スラスラと書けた。
神様がボクに書かせて下さったいたんだと実感する。

ところが、最近は自分で考えて記事を書いている。



それがまず一つ。

今一つは、おさしづの勉強をさせて頂くのに、支障が出てきた事。
ブログの記事を書く事で、おさしづを勉強させて頂く時間が減っている現状。
と、正直に言いますと、ココログのつぶやき機能が面白くて、そっちに気を取られる事が増えて来た事。

雑念入りまくりでした。


色々考えあってやった事ですが、集中力の無い自分の性格を考慮に対し、考慮が足りなかったかも…



以前にも某ゲームサイトで沢山の友達を作って、はまりすぎた事が有りまして。



以上、二つの理由を理由に一度休ませて頂いた方がよろしいかと、おさしづに訪ねさせて頂きました。



パソコンに明治20年~40年のおさしづが入っていて、神殿で神様にお伺いのお願いをさせて頂き、パソコンに年代別に入っているおさしづのフォルダの中から、何気なく明治29年のフォルダを開く。
そして適当にスクロールしてピタリと止めた所のおさしづがこれでした。







さあ/\尋ぬる事情/\、尋ねにゃなろうまい/\。存命々々と言うであろう。存命でありゃこそ日々働きという。働き一つありゃこそ又一つ道という。存命一つとんと計り難ない道なれど、又日々世界映す事情聞き分け。尋ね掛けば諭す。どんな事も諭さにゃならん。まあ今日はこれで治めて置け。又後々十分話伝えるによって。








びっくりしました。
まさかドンピシャでこのおさしづが来るとは…


一番最初に始めた時も







何かの処、たすけ一条、勇める処話を伝え。








と、これも本を何気無く開いたページでした。




どんな事でもおさしづにお訊ねすれば必ず神様が答えを見せて下さいます。



分からなくても、自分の考えでは、人間ですので間違いは必ず有ります。
どんな時でも神様の思いを求めて通らせて頂けば、必ず神様に連れて通って頂ける。


と言う事を実感させて頂きました。



また後々十分話を伝えて下さるとの事ですので、神様より、教えて頂く事が有れば、その時はまたここに来て、記事を書かせて頂きます。



それまでさよならです。

長い間ご愛読(誰もしてない!)有難う御座いました。m(_ _)m









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2011年10月 1日 (土)

東京へ行って来ました -青年会総会-

東京某大教会にて某日、青年会総会が有りまして、参加させて頂きました。


自分、愛知の人間でして、現地に9時集合ですので、何と出発は朝の3時だって…

冗談言うよね~
でも冗談じゃないらしいよ~




結局起きたのが精々踏ん張って2時10分!
起きたのか、寝てないのか、どっちだ?


ボクらは住み込みなんで、その時間でいけるけど、中には「今日は寝てないよ。」って人も

んで、野郎9人、女の子4人、運転手2人、計15人でマイクロバスに乗って出発しました。



道中、突然「ババ抜きやろうぜ!」とか言いだす男が。

バカな!
と思ったけど、以外と出来てしまう…




ボクら野郎共がバカ騒ぎする中もバスは進み、途中2回の休憩を挟み、今年2度目の東京(今年の3月にも自分含む4人、布教所の代表として行っていました。)




今回は委員長さんから「折角の東京だから、ちょっとくらい観光でもどうか」と言うお言葉を頂きましたので、(現在我が布教所は所長不在で、実質のトップは委員長さんです)
話し合った結果、帰りは「お台場」へと行かせて頂く事に。


そしてバスは東京へと踏み入り、目的地の大教会へと到着しました。









おつとめ~十二下り。式典、記念講話と言う内容。

おつとめ~十二下りの間、朝二時起きだった事もあり、周りを見ると半数近くの人が胡座で首を垂れて眠りに入っていた。(ボクもそのうちの一人です。)


そして式典が始まり、大教会長さんのお話を聞かせて頂きました。

話の中に教祖の御逸話が有りました。
それはこう言うお話です。





その日は土砂降りの雨の日で、教祖はそばの人に、小さな茶碗と大きな樽を用意し、庭に置くようにと言われた。
当然、小さな茶碗はすぐに雨水でいっぱいになり、溢れ出したが、大きな樽はまだまだ雨水が沢山入る様だった。
それを見て教祖はそばの人に「お前さん達これを見てどう思う?」と聞かれた。

どう答えればいいか分からず、返事に困っていると、教祖は「天の与えは誰にでも平等。しかし受け取る側の心が小さな茶碗のようだったら、この様にすぐに溢れてしまう。樽のような大きな心なら、沢山のお与えが頂ける。」と話された。




と言うお話でした。
そして話は続きます。
「今日、この青年会総会に皆さんは喜び勇んで参加してくれた事でしょう。
しかし、中には『青年会があるから、行けと言われたから仕方なく』と言う方もいるかも知れない。
沢山の[天のお与え]を頂けるか、少し頂いて溢れてしまうかは受け取る側の心次第です。」


とお話をして下さいました。







このお言葉はボクの心にガツンッ!と大きな音を立てて響きました。
何せたった今、おつとめの最中まで寝ていたのですから…


折角の総会なんで、一生懸命勤めさせて頂こう。
昨日の夜までは心の表面でそう思っていたのに、いざ当日になってみると、眠さに負けて胡坐で首を垂れて寝ていて、もういつの間にか心はお台場へと到着してしまっていました。

遠路はるばる東京まで来て参加させて頂いたのに、小さな心で勤め、ほんの少しだけのお与えを頂いて帰ってしまっては勿体ない。

小さな茶碗はまさに自分の事でした。



今度からこう言う機会を頂いた時は、一つも漏らす事無く[お与え]を頂いて帰れるよう、一生懸命に勤めさせて頂きたい。




そう反省し…ながらも終わってみるとやはり心は「お台場」でした。








▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▼▽▼▽▼


さてさて、さっきから「お台場、お台場」五月蠅いようですが、あえてお台場ごり押し攻めしましょう。


バスは「芸能人芸能人」とやかましい田舎連中を乗せて、豊島区から港区へと移動します。

かつて仕事でフジテレビに行った事のある兄が「芸能人に会う事はまず無い!」と言っているのにも関わらず、まだ「芸能人と遭遇するかもぉぉぉ!」とか騒ぐ(ボクを含む)バカ連中!


田舎では見られない建物の数々。

スカイツリーに両国国技館、東京拘置所。
テレビでしか見た事ない建物にテンションだだ上がり!



もうシマイには白バイ見ただけで「うぉい!あれ愛知県警じゃねえぞ!警視庁だぞ!」

とか、「クロネコヤマトだ!さすが東京だな!」とか…


もう何でもいいからとりあえず騒いどけぇ!(ノ≧∀≦)ノ





そして到着したよ、フジテレビ!!

一番の目当てはスタジオ!
インターネットで調べたところ、フジテレビではスタジオが見られて、運が良ければ撮影中を見れるかも、との事。


意気揚揚と見に行ったけど・・・・・・・・・
全部カーテンが閉まってた






その後、野郎共と女の子達で別れてホンの少しの自由時間。
野郎共の目的は、フジテレビの近くにある、屋内型遊園地「ジョイポリス」


仕事でフジテレビに行っていたと言う兄貴が、そこで「サスケ」が出来ると言う。

混むのでは無いかと一人が聞くが、どうやら見物者が多くて、恥ずかしくて皆やらないらしい。
でも俺達はやる!
絶対やる!


と意気込んで行ってみたが、去年の10月で終了したとの事。

残念!





とにかく中に入って見る。
入場料は500円。

時間があまりないのでフリーパスは勿体ない。



…が、更に残念な事に、どのアトラクションも人がいっぱいで、結局何もやらずに外へ出る事に。
田舎モン9人で何しに来たのか…


結局チケットを500円で買っただけで終わってしまったorz









Odaibafujiterebi
フジテレビ前。テレビでよく見る






007
レインボーブリッジ。封鎖はされていなかった(当たり前)





008
スカイツリー。近くで見ると凄い。






005
500円で買ったジョイポリスのチケット。





帰りのバスでは運転手さんが声高に「ほら、皇居だぞ!」とか、「東京タワーだー!」とか、「都庁があるぞ!」とか教えてくれるけど、皆もう行きのテンションは無く、ただただ静かにして欲しかったww







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2011年9月 8日 (木)

自分を許さない心

前に、「最近お道の心が抜けてしまった」と話した事がありますが、やっぱりちょっとした気の弛みが原因でしょうね…


かのご高名な愛町分教会初代会長「関根豊松先生」はこう仰られたそうです。


「私は決して自分を許さなかった。」
これ位はいいだろう。その心から心の弛みが生じ、そこから因縁に負ける心へと発展していってしまう。




ボクはゲームが好きで、漫画が好きで、歴史の本が好きで、SF小説が好きで、絵を描くのが好きで、買い食いが好きで、ネットの友達との会話が好きで…



お道の勉強をして、感動して、少しばかりにもお道の心になろうと志しても、
「まぁ、ちょこっとだけ息抜き。」

とか言って漫画を読む…





Cocolog_oekaki_2011_09_08_12_02


最初はそれでいい。
しかし、そこから段々お道が抜けて、なんかすっかり漫画に夢中になって、
「これじゃいか~ん!!」

とか言って、さてさてまたお道の勉強しよっか…とか言ったって、全く心に入って来ません。


なんとな~~く窮屈……



因縁に負けた心と言うのは、お道の話を聞くと窮屈に感じるそうです。









なんか窮屈なもんで…勉強する気がすっかり失せて…


「夜、夜やるから」夜になって「中途半端にやっても仕方ない、今日はいいから、明日から徹底的に…」明日の朝になって「ちょっとその前に…」で昼になって…

「はぁ、俺はもう駄目だ…こんな程度の人間なんだ…」とか言ってヘコむ。


(俺ってホント典型的なダメ人間だな…)







そんな事の繰り返しです。






自分を許さない心。

難しい…




でもこれは厳しいとかじゃない。
かつて永平寺の修行僧の日常をネットで見た事がある。

永平寺の機構と一日の生活



厳しい世界
これに比べて自分は…宗教は違えど「信仰する」と言うことは同じ。
とても同じ信仰者とは思えない


もうそろそろ「自分を許さない」と言うのを真剣に考えてみようと思った。




漫画も、ゲームも、好きな本も、買い食いも…


「これ位は」とかはやめて、とりあえず一ヶ月を目標に「自分を許さない生活」を始めてみようと思ってます。










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2011年7月14日 (木)

ゴミ拾いでも心得違い

とある布教所に住み込みで修行中です。修行なんで何曜日休みとか有りません…基本は盆と正月に一泊二日、あとはGWなどに休みを一日、二日貰えるのですが、あれは数年前の盆休みを貰った朝の事でした。



父が朝の神殿掃除に来ていたので帰りは一緒に乗せてもらうことに…



父は道中突然車を止めて「ゴミを拾う」と言い出す。
なるほど噂には聞いていた。いつも朝の神殿掃除の行き帰りに道端に落ちているゴミ拾いをする…と。

車の後部座席には、ちゃんと分別して捨てられるよう3種類のゴミ袋
はは~ん、準備万端なわけね。



俺もやろ~っと、って感じで2,3分。
父も仕事が有るので長時間出来ませんが、そこそこ綺麗にしまして…

さあ帰ろうかとまた車に乗り込んだ拍子に、ボクが一言発する。




「何故人はこんな所にゴミを捨てるんだろう…一体どんな神経してるんだろう?」





(ああ、いい事した…)と調子に乗ってたボク。
人の愚かな行いについて語る親子。なんてかっこいい…

しかぁし!
父の返事は意外なものでした。





「そんな事を思っちゃいかん。」





ありゃりゃ( ̄ー ̄;)ゞ

てっきり「そうだなぁ」とか言ってくれるかと思っていたボク。



でもそれは間違っていました。





父曰く

誰かがゴミをほかって行く、勿論いい事ではない。
そのゴミを見てまた次の誰かが不快な思いをすれば、ゴミをほかった人はその分、因縁を積んだ事になる。

ボクらがゴミ拾いをさせて頂く。

「誰かがゴミをほかってくれたお陰でこうして今日もゴミ拾いが出来る。」
「今日もゴミが落ちているお陰で神様の御用が出来る。」

そうして喜んで、ゴミをほかった人に感謝して拾う事で、ゴミをほかった人は、僕らを喜ばせた事になる。


人を喜ばせた分、その人は徳を積む。

本来なら因縁を積むところを、逆に徳積みに変える事が出来る。

因縁を積まずに(僅かながらも)徳を積めたのだからその人を救けた事になる。


そして「人救けたら我が身救かる」
のお言葉通り、自分も救けて頂ける。

なるほど
そして、それはゴミ拾いだけでなく、色んな場面でも言えることだなと思った。



教祖が
[人間は嫌なものを見ると、すぐに嫌やなあと思い、嫌な事を聞くと、すぐに嫌やなあと思う。その心がいかんのやで。その時の心の使い方が大切なのやで。嫌なものを見、嫌なものを見せられた時、嫌やなあと思う前に、ああ見えて良かった、目が不自由でのうてよかった、ありがたい結構やと思うて通らしてもらうのやで。嫌な事を聞いた時も同じ事、何時の日、何時の時でもそういう心で通りなはれや。その心遣いが自由(じゅうよう)の守護が頂ける道になるのやで。](省略)


また
[どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで]

と教えて下さいました




例えゴミ拾いや、人の為になる事でも、不平不満やグチの心でやっていては返って来るのも喜べない出来事ばかり。
逆にほんの些細な事でも喜んでやらせて頂けば、また喜びとなって返って来る。


喜びは喜びとして、この世を巡り、循環する。
不足の心は不足として循環する。



どんな事も心次第、折角なら神様に喜んで頂ける心でやらせて頂かなければ…
それを父に教えて頂いた、あの日の出来事でした。








この父の言葉が今に生かされているかどうかは…恥ずかしいから内緒である。









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2011年7月 5日 (火)

悲しき素通り

「人生最大のご守護」がまだ後編を残していますが、まだ文章がまとまって居ないのと、今日のネタが出来てしまったので後日に…





今日買い物の帰りに、足を引きずって歩いてる方をお見かけした。


ああ、是非ともあの方ににをいを掛けさせて頂かねば…


しかし、やっぱり勇気が要る。





ある人に聞いた話だ

それは、その人の父親(T氏)が若かりし頃、(多分大正時代かと)現在の「修養科」の前身であった「別科」の最中、板に戸車を付けて、それを手で漕いで神殿の外まで来た人がいた。
その人は足が悪いので、神殿まで連れて行って欲しいと言い、T氏他数人で抱えて階段を登り、神殿まで連れてった。

T氏は庭掃除の最中だったので、そのまま作業を続けていたが、数時間後、ついさっきまで足が悪くて歩けなかった人が、なんと!自分の足で歩いて階段を下りてくるのだ!


驚いたT氏はその人の所まで駆け寄って「足は?」と聞いたところ、嘘のように治ったと言う。

長時間神殿に居て、しかも歩いて帰って来る。
「一体神様に何を問いかけていたのか?」

と、訊ねると、その人の話はこうだった。


「いつものように板を手で漕いで目的地へ向かっていた最中、疲れたので木陰で休んでいたところ、見知らぬ方が話し掛けてくれた。聞けば天理教の人らしい。一生懸命に天理教の教えを話してくれた。何か難しくて話の内容はよく分からなかったが、こんな足が不自由な自分を助けようと必死になってくれる気持ちが何よりも嬉しかった。自分はどうなってもいい!ただこんな自分に親切にしてくれたあの人を、どうか幸せにしてあげて下さい。」

と、数時間神殿に座り込んでただそれだけ神様にお願いしていた。

さて帰ろうと思ったらごく自然に立てて、歩けたと言うのである。




きっと我が身どうなってもと言う想いが神様に通じたのでしょう。





さて、現在目の前に同じような状況が起きている。
この素晴らしい神様のお話を聞いて貰いたい。


しかし、見ず知らずの人に天理教の話を聞いて貰おうと思うと非常に勇気が要る。
馴染みの無い人に宗教の話をすると、とても冷たい眼で見られるのだ。

いや、そんな弱音を吐いていてどうする!



神様のお話を聞いてくれれば、きっとこの方にも素晴らしきご守護があるはずだ



行け、俺! 話掛けるんだ、俺!!

そう自分に言い聞かせながらも、





結局素通りしてしまいました…







情けない…

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