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2013年11月17日 (日)

畑の前にビックリな物が!

当布教所には離れが有りまして


畑の前…というよりは横といいますか。



数ヶ月前に引っこ抜かれた木の根っこが置いてあって

その根っこの前に大変丁寧な置き方である物が置かれて居ました
Cocolog_oekaki_2013_11_17_11_46
全体をかなり適当に図にするとこんな感じ
木の根っこに優しく囲まれるように置かれていたその正体は
なんと!!


ビールの空き缶…


側溝や畑の付近
要するに、入口から近い所にゴミが捨てられているのはよく目撃されますが…
あんな所に捨てたということは
ワザワザ10メートルほど歩いて丁寧に置いていってくれたようだ
そこまで歩く労力を使うのなら、同じくらい歩けば自販機の横に空き缶のゴミ箱があったんだが…
ちょっと目立たないから仕方ないか
でもそこまでしなくても入口付近にでも置いてってくれれば始末したのに( ̄▽ ̄;)




そのゴミ
ありがとうございます!喜んで始末させて頂きます!




空き缶は資源ゴミなので、洗って捨てさせて頂きます


ゴミを見せて頂けた
目が見える親神様のご守護に感謝!
ゴミを流しまで持って行けた
親神様からお借りしている体に感謝!
ゴミを洗う事が出来た
親神様の水のご守護に感謝!








え?



「藤太郎ごときがそんな心遣い出来るわけがない」


とか思ってません?
いや、ボクでも思ってます
ゴミを見せて頂けた
目が見える親神様のご守護に感謝!

ゴミを流しまで持って行けた
親神様からお借りしている体に感謝!

ゴミを洗う事が出来た
親神様の水のご守護に感謝!

↑これはちょっと言い過ぎました
こんなことまで考えられる心持ってません



でもゴミの後片付けは喜んでさせて頂く事が出来た



なぜか!
その答えはこちら
父から教えてもらった心遣い



一瞬だけ「オイオイ」とかちょっとよぎったけど

すぐに切り替え、喜んでさせて頂く事が出来た




世間に居たらこんな心遣いでゴミ拾いなんて出来ません

いや、むしろ捨てられたゴミを目立つ場所に置いて

「自分のゴミくらい自分で始末しろ!」


とでも書いた看板立てて

意地でも自分では片付けなかったでしょうね。



そして不足した分は自分にも降りかかって来ます



しかし、こうしてお道の上にお連れ通り頂き
曲がりなりにもお話を聞かせて頂いているお陰で


こうしてどんな事でも(上っ面だけですが)喜びの心で受け取らせて頂く事が出来る



その心が神様にお喜び頂けるのであればこんなにも素晴らしい事はない



なんて…
そんな事を、空き缶を洗いながら柄にもなく考えて居ました。

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今日の勉強」カテゴリの記事

コメント

ねこにゃんさん、コメント有難うございます
ブログ拝見させて頂きます

投稿: 藤太郎 | 2014年9月 1日 (月) 10時06分

キリスト教の怖さについて、ブログに書いています。
御一読をお願いします。
.
 題:その固定されたキリスト教意見に、洗脳されて・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教聖職者や、キリスト教関係者の方々が・・、
 よく言う言葉に・・、
 「私は○○協会の『聖書、△△訳』をお薦(すす)めします」・・という言葉がある。
 これは、明らかに・・、
 キリスト教の方々は、口を閉ざしてはいますが・・
 「不良な『聖書』が存在している」ことを示している。
 本の名前こそ「聖書」としているが・・、
 「聖書に非(あら)ず」の表明となっている。
 本当は、すべてが「危険図書、不良書籍なのだ」が。
 人生を狂わせます・・が、
 そして、1例・・共同訳という聖書がありますが・・、
 つまり、キリスト教の各派閥が共同して訳したという版なのですが・・、そして、
 この版が・・よく・・推薦と言われているが・・妖(あや)しい限りです。
 1例を言えば・・、
 その各派閥がA説を持ち、また、B説を持ち、そして、C説を持っていて・・、その話し合いが、うまくまとまらなかったのだろう・・、
 その聖書には・・A説とB説とC説のすべてが・・書き込まれるという・・まったくのお粗末を演じている・・。
 宗教書としての意味が成していない・・主張点が無くなって、天に舞っているいるが如(ごと)きの、何ら役に立たない記述となっている。
 聖書それ自体がおかしい書籍なのだが、何をかいわんやである。低劣なことをやっている・・。信用はできません。
.
 (参考)なにをかいわんや【何をか言わんや】:何を言おうか,何も言うことはない。おどろきあきれて言うべき言葉もない。

 そして、次の話。
 キリスト教聖書は、昔話の物語のような単純な話ばかりだが、(つづく)
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

投稿: ねこにゃんちゃん | 2014年7月19日 (土) 01時16分

ありがとうございます
smileさんのお道に励まんとする強いお言葉を読ませて頂き、自分自身の弱い人間心に少しムチを打たれた気持ちになりました。
少しづつ神様に心を向けられるよう、ボクもささやかながら努力させて頂きます。

投稿: 藤太郎 | 2014年2月21日 (金) 13時58分

お返事ありがとうございました。藤太郎さんの飾りっ気ない、実直なお人柄が伝わってきて、ほっこりしています。すばらしいお父様ですね。間違いなく藤太郎さんの中に、お父様の教えが息づいておられるように思います。
私も、コメントさせていただいた時は、生まれ変わったような心地で、「神様がめどう」と心に据えたつもりが、日を重ね、新たに会長のいろんなことを見せられると、ぐらぐらと気持ちが揺らぎ、あっという間に喜べない日に逆戻りです。ほんと、情けないです。
それでも、とにかく健気に、目の前のことをひたすら素直に、ひたすら心を込めて励むことが神様に喜んでいただける第一歩だと、また明日もがんばろうと思います。
立場や抱えているものが違っても、神様の思いに近づこうと、日々奮闘している方がおられる!と思うと、とても心強く感じています。

投稿: smile | 2014年2月 3日 (月) 22時40分

smileさん、コメントありがとうございます
お返事遅れまして申し訳ありません

ボクの駄文がお役に立てて何よりです

ボク自身、今は亡き先代の所長に悩まされてしたので、お辛い気持ちはものすごく分かります。

ここで書いた話は全て父に教えてもらった事ばかり。ボク自身はまだまだ心の成人が足りておらず、それどころか最近は気が抜けてしまい、情けなくもこのブログも放置が続いております。

今となってはあのめちゃくちゃな所長がいた頃は自分なりに神様を真剣に見つめる事が出来ていたような思いになり、やはり有難い事だったんだと実感しています。

ボクも今では自分自身との闘いです(負けっぱなしですが…)
お互い頑張りましょう。
及ばずながら陰ながら応援します。

投稿: 藤太郎 | 2014年1月31日 (金) 19時54分

はじめまして。所属教会の教会長のとんでもない言動に、日々、翻弄され、苦しい中で、藤太郎さんのブログを見つけ、拝見させて頂きました。まだ、全部は読めていないのですが、共感を抱き、とにもかくにもコメントさせていただきました。見せられることに、神様の思いを悟り、辛ささえも充分に味わい、神様に喜んで頂ける心になること、「神様がめど」だということ。心にしみる藤太郎さんの、言葉の数々に、非常に勇気づけられています。
私には、信仰を共に出来る主人と、たくさんの子供をお与え頂いてます。教会長の家族として、今の踏ん張りが、因縁を切ってもらえる道だと信じて、がんばります。

投稿: smile | 2014年1月13日 (月) 10時43分

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