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2011年7月11日 (月)

天理教被害

天理教被害の掲示板を見ました。
ちょっとショックです。

天理教被害掲示板

「病気になるのは心遣いが悪いから」とか「お金をお供えすればよくなる」
こんな事を平気で言う布教師が居て、皆さんを随分苦しめているようです。

同じ天理教を信仰する者として恥ずかしく思い、同時に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
なんの責任力もない私ですが、心よりお詫び申し上げます。

ただ、一つご理解頂きたいのは、それはその布教師が悪いのであって、天理教が悪いのではないと言う事。

私の知っている(尊敬出来る)布教師がこう言いました。
「昔の(天理教の)本部員は、汽車に乗る金も無く、歩いて、ボロボロになって本部に辿り着いた人に手を差し伸べて、寄り添って行った。最近は高級な外車に乗って、綺麗なスーツを着ているお偉いさんに寄り添っていく。本部員の質が落ちた。」

心遣いが悪いから病気になるだの、お金をお供えしろだの、天理教はそんな程度の低い教えではありません。

http://fuji-taro-1976.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-9fa4.html

教祖「中山みき」は警察に投獄され、他の宗教者より乱暴、狼藉を受けて、それでも神の道を貫きました。

一説によると青竹で叩かれた事もあり、傍で見ていた信者がショックで倒れた事もあるそうです。

一人の信者が教祖に言いました「何故、警察にバチを当てないのですか?」と
しかし、世界一列を救けるのが天理教です。
教祖は自分を叩いた警察官ですら救けたいのです。

教祖のお通り下さった道は大変な苦労の道でした。

最後の最後までなんの得も無い道です。

天理教は反対運動を受け、世間から迫害される度に大きくなりました。
妄想や金儲けの手段ならとっくに終わっていたでしょう。


今は仮の道だと教えられます。

天理教の教えからかけ離れ、勝手な事をやっていても今は通れます。
そんな程度の低い布教師も一時的に置いてあると教えて貰いました。
私の身近にもそんな人がいました。
自分の都合のいいように教えをかえていました。
自分の都合の悪い信者を出入り禁止にしたり、金持ちを優遇したり…

先月中旬に出直しましたが、最期は相当苦しんだようです。

仮の道から本道が始まった時に、今現在、天理教の教えを食い物にしている人たちはすぐに掃除される事でしょう。
仮の道である今現在、立場は弱くとも、ただ神を信じて教祖の道を目指している者と、勝手な道を通っている者と、その末は…
その答えを見せられる日は必ず来ます。

布教師の質が落ちた現在、皆様にはご迷惑をお掛けして申し訳ありませんが、
ひどい布教師ばかりではありません。尊敬出来る立派な布教師も居ます。
天理教の教えが悪いのではないと言う事、それだけはご理解下さい。

最後に、私は教養の足りない人間です。注意して書いたつもりですが、まとまりが悪く、拙い文章で有ったこと、
また、気分を害する文章がありましたらお許し下さい。






☆追記☆
この記事に沢山のコメントを頂き、有難う御座います。

今の天理教組織にご不満を持つ方々に知って頂きたい事を記事にしました。 是非ご一読下さい。
記事へ


☆もう一つ追記☆
コメントを読ませて頂くとどなたも「ああした方がいい」「これはよくない」「こうするべきだ」との意見を多々お聞きします。
ボク自身も以前は困った事や納得出来ない事に対し、自分の意志と力でどうにかしようとしていました。
しかし、(偉そうな言い方かもしれませんが)ボクは父の影響でおさしづを読ませて頂き、上っ面ばかりにも触れさせて頂く事で、また、父からも多く教えて貰う事で、その考えは間違いで有ると感じるようになりました

成ってくるのが天の理と教えて下さいます。
自分の考えでは無く、神様に凭れきって、ただ成ってきた事に対し、たんのうの心で通らせて頂く事が肝心だと思います。
お寄せ下さったコメントに対し、おさしづや父から教えられた事から思案させて頂いた自分のコメントをまとめました。
参考程度にこちらも読んで頂ければ幸いです。





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雑談」カテゴリの記事

コメント

熊本の温泉が有名な田舎だけですかね?
宗教でもいい方が沢山いることは分かるのですが…
本当にごく一部の常識のない方のせいで近くに住むものとしては本当に気分が悪いです。
家の者がいないからと無断駐車したり…
いても当たり前のように無断駐車したり…
インターホン鳴らして伝えても
謝罪もしてもらえなかった方もいます。
朝一から太鼓を叩いてお教唱えられたり…
何件も離れているのに聞こえてきて苦痛です。
宗教は自由ですが
こちらにも自由があります。
どのような物を信じるかどうかは個人の自由ですが…
そのような方は宗教よりもお金よりも先に常識を身に付けるべきではないかと思いました。

投稿: みかん | 2018年5月13日 (日) 22時20分

天理教てまはありませんがひと言
時々ポストの中には紙がはいっており読むと天理教の教え?のような文面を読ませていただきました!よい言葉が書かれてると毎回おもいます!私は体調をくずしよろづ病院にお世話になり天理教の信者の方が病が収まるよう身体に手をあて願っていただきました!すごく感謝してます!でも残念な事に天理教である一部の学生の暴言を何回か耳にし、天理教の教えに書かれてる、相手をおもいやる気持ち?がこの子達には届いていない気がしました!もちろん一部の学生でしょうが若いから?だけで解決はしてはいけないと思います!偉そうに聞こえたならすみません

投稿: たけ | 2017年10月10日 (火) 10時23分

ひまわりさん
とても立派な教会長様のようで
素晴らしい教会での、これからの貴方の信仰生活が親神様、教祖にお喜び頂ける事を願っております

投稿: 藤太郎 | 2012年8月30日 (木) 11時15分

藤太郎さん とても丁寧なご返答ありがとうございます。
おかげ様で 私自身は母と祖母が信仰していた 岡系統の真澄分教会へ 母の勧めで おつとめに 繋がる事ができて とてもありがたく思っております。 真澄分教会の会長様は かしものかりもの のお話と おつとめのお話ししかしない方で ご老体でも少しでも動かして頂けるのはありがたい
とおっしゃって 教会の中も贅沢なものも置いていません。車も会長様は乗っていません。 私自身は何とか 良い教会におやさま神様からお引き寄せ頂いたので。
どうか 私に教えてくださった おさしづを天理教内に 広めてください。どうぞよろしくお願い致します。そして ありがたいおさしづ を教えてくださって本当にありがとうございます

投稿: ひまわり | 2012年8月28日 (火) 13時57分

ひまわりさんへ
下のコメントを読み返したところ、書いてる途中で段々話がずれてしまいました。
スミマセン

http://fuji-taro-1976.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-60c2.html
ここにひまわりさんへ伝えたい事を記事にしました。
読んで頂ければ幸いです。

投稿: 藤太郎 | 2012年8月27日 (月) 01時01分

また名前を入れるの忘れてました
スミマセン

投稿: 藤太郎 | 2012年8月24日 (金) 23時33分

ひまわりさん
お気持ちは大変分かります。
しかし、それは違うように思います。

「7分3分の理」(しちぶさんぶの理)というお言葉をご存知でしょうか?

自分も随分前に勉強した言葉ですので、上手く説明出来るか分かりませんが…


例えば!
大きな木を庭に植えるのに、十分な根が無いのでそのまま植えては枯れてしまいます。枯れないようにする為には余分な枝を切り落としてしまわなければなりません。


おさしづで

「どうしたらよい、こうしてらよいと、人間の心で出来る事は一つもあらせんで。人間の心で出けた事は一つも無いで。」

と、神様は仰られます

人間の考えで「お道のためにああするべきだ」とか「こうさせて頂こう」と考える気持ちはご立派だと思います。
しかし、所詮我々は目の前の、目に映ったものしか見えない人間です。
明日どころか、一分後、一秒後すらも分からない人間です。

そんな人間に、今からやろうとする行動が、果たして神様の思惑に本当に沿えているのかなどと、判断出来ません。
良かれと思ってやった事が神様の思いに反してしまう事だって有ります。

どこにどんな神様の思惑があるのか分からないのが人間です。
そんな人間の考えで何か大きな事をしようとしても、それは余分な枝として切り落とさなければなりません。

そこで「7分3分の理」です。
人間の考えで7分の事をすれば、理の働きにより、余分な枝は切り落とされ3分に変わってしまいます。

枯らさない為には切り落とさねばなりません。

それは、簡単に言えば、頑張って7歩歩いても、神様に受け取って頂ける理は3歩だけだという事です。


この神様は「苦しめよう、困らせようとの神では無い」と聞かせて頂きます。「日々に親の思案というものは 救けるもようばかり思てる」とも聞かせて頂きます。
「成ってくるのが天の理」です。
全ての出来事は神様による、世界一列を救けるための出来事です。
それを人間の考えで邪魔しようとする事は許されません


「成ってくるのが天の理」と心に治め、神様にもたれ、全てお任せし、どんな辛い事も、納得出来ない事も、神様の思惑として「たんのう」の心で通させて頂く事が大切ではないでしょうか?

人間の考えで大きな事をする必要は有りません。どんなに小さくてもひたすら積み上げた小さな真実を大きく受け取って下さいます。
その3分の真実を7分の理に受け取って下さいます。
一歩ずつ神様だけを見つめてしっかりと進んだ3歩は7歩として大きく受け取って下さるのです。

それが「7分3分の理」と父から教えて頂きました。


自分達の力でどうにかなるものではありません。
神様の大きな思惑が有ります。

「日々に親の思案というものは 救けるもようばかり思てる」
という事は、この世は全て、どんな些細な事も、どんな大事でも、世界一列を救ける為に、寸分の狂いもなく神様が動かして下さっているのだとは思いませんか?

納得行かない気持ちも分かりますが、それは人間の考えであり、偉大すぎる神様の思惑の前では何の意味も持てません。


麻原彰晃だって神様の思惑だとボクは思います。
逆に麻原が出て来たのが神様の想定外でしょうか?
そんな神様では不安です!今すぐ信仰をやめます!


こうしてひまわりさんを始め、色んな方がこの記事にコメントを下さいますが、それも神様がボクの成人の為に引き寄せて下さったのだと思います。
簡単に気を抜いてしまうボクに「しっかりしろ」「気を引き締めろ」と喝を入れて下さっているのだと思います。


全て神様にお任せし、どんな事も「結構、結構」と言ってお互い通らせて頂きたく思います。

この「7分3分の理」については、後日しっかりと記事にしたいと考えております。


ひまわりさんのお言葉
> 所属教会長は自分自身を磨いてくれる鏡だと思えと言う言葉はおやさまの御教えに努力しない教会長達の言い訳


これについても神様の思惑をおさしづから思案させて頂く事が有ります。これも後日、記事として書かせて頂きますので読んで頂けると幸いです。


随分長くなってしまい申し訳ありません
最後までお読み頂き有難うございました


神様をめどに、お互い頑張りましょう

投稿: | 2012年8月24日 (金) 23時32分

丁寧な ご返事ありがとうございます。
私の妹が身上になった時 その会長は お供えの話はしても おさづけを 取り次がない人でした。私達家族はその教会に繋がるのは母と父だけと決めております。会長の性格は政治家と同じであまりにおやさまの御教えを無視して嘘つきです。私と妹は なるべく月に一度は おぢばに参拝させて頂いております。 妹の身上は おぢばに参拝させて頂くようになってから 随分よくなりました。 所属教会長は自分自身を磨いてくれる鏡だと思え
と言う言葉は おやさまの御教えに努力しない教会長達の言い訳で
2代真柱様は 人から天理教の教理を聞かれたら 私を見てください。と言える用木になってくれ
とおっしゃいました。 天理教教会長の中に 親神様おやさまを求めて心を磨いておられる教会長様がおられる反面 信者からも嫌われ 近所からも嫌われて 天理教を おやさまの御教えを信じない人を増やしています。
親神様おやさまめどうの 教会長達が もっと天理教組織内で目を凝らして見て頂かないと 天理教組織を利用して 麻原しょうこう のような教会長を 作ってしまう可能性に気付いていただきたいです。

投稿: ひまわり | 2012年8月24日 (金) 10時03分

スミマセン、名前を書くのを忘れていました
名前が無いと返事を書いて事、気付いて頂けないかもしれないと思い、改めて。

投稿: 藤太郎 | 2012年8月23日 (木) 11時50分

身分制度さんコメントありがとうございます
教祖は「大社高山あとまわし」「谷底せり上げの道」と教えて下さいました。

>前世の行いがいいから楽して通れる?井の中の蛙もいいところ。

確かにそうですね。
そういう人を見ると人はよく「余程徳があるんだね」と言いますが、反対だと思います。
徳が無いからどんな事をしても神様から教えて頂けない。
何か有る度に神様から教えて頂ける人はそれだけ神様から大切にされているからではないでしょうか。

上級教会の初代会長は「僕はちょっとも気が抜けない」と仰られたそうです。
少しでも気を抜いて自分の好きな事をすればすぐに出直してしまうだろうと仰られたと聞かせて頂きます。
それが真実でしょう。
徳が有るから背負っているものが違います。
徳が無いから何をやっても教えて頂けない。

うちの所長の息子さんもそういう人でした。
生まれた時から次の所長になる事が決まっていた人です。
所長も所長で、信者が息子に注意でもしようものなら「俺の息子だぞ!」と怒鳴っていたそうです。
酷い時はそれが原因で出入り禁止にされた人もいるそうです。
そうやって身分に甘やかされて育っているので所長以上に手に負えない人でした。
それでも自分は立派な布教師のつもりでいます。
最後には信仰が耐えられず、姿を消しました。
娘さんは信者の影で(バレバレですが)父親である所長に暴力を振っていました。
所長亡き後、40を過ぎていたのですが、縁談が決まりました
相手は社会でもお道でもちょっとした位の有る家庭です。
結局そういう因縁なのでしょう。
一つ下のコメントにも書きましたが、用木が立派に育つ為の「肥料」のような因縁。
うちの所長は上級教会の初代会長より「お前の家は東海並木の肥やしの因縁だ」と教えて下さったとお聞きします。
「並木」では無く、並木を育てる為の「肥やし」です
本人らはなんの事か分かっていませんが、確かにボクらを育てる為の「肥やし」となってくれました。(僕自身はまだまだですが)

現在の身分制度に甘やかされ、何も苦労を知らず育った人達は、全てとは言いませんが、まさにそういう人達なのでしょう。
後回しにされる「大社、高山」の人達です。
それよりも「大社、高山」の言いなりにさせられている「谷底」を救けるための今の仮の道ではないでしょうか?
谷底を救けると言っても今の状態が良くなるだけで本当に救かったとは言えません。
長く積み重ねた神様への残念や悪因縁を取り除かなければなりません。
その為の「肥やし」となる人達ではないかと思います。

投稿: | 2012年8月23日 (木) 11時41分

ひまわりさん、お返事が遅れてすみませんでした

神殿の上に部屋を造るとは酷い話ですね。仰られる通り、普段の信仰態度もきっと神様を平気で踏みつけるような信仰をしておられるのでしょう。

実を言うとうちの布教所もよく似た事をやっています。
神殿普請の時に、神床の下にヘドロが埋めてあると聞きました。
元々田んぼを埋め立てて建設された神殿なので、神床の下には少々高額でもきちんとした土を埋めなければいけないのに、安く手に入るヘドロを埋めたのです。
周りの意見など決して聴かない所長でした。
「儂の言う事を聞けばいいんだ!」
そんな所長でした。

晩年は特に酷かったです
ボクは医者に掛かっているのですが、自分は少し怪我をすると(絆創膏でも貼ってれば治りそうな擦り傷です)入り込みの者に運転させて病院へ飛んで行くのに、ボクが病院へ定期検査へ行かせて頂きたいとでも言おうものなら2,30分は愚痴を聞かされました。
理由を聞かれたから答えたのに「言い訳するな」の一言
決して「お仕込み」とは言えない愚痴ばかりです。

何故病院へ行くのをそんなに嫌がるかと言うと、お金が掛かるからです
自分の事で金が掛かるのは平気でも、他人の為に金がかかるのは許せない。貰った手当でやっているにも関わらずです。

何故そのような人が所長でいられるのか?
(下のコメントにも書きましたが)そのような人も用木を育てる為に神様が目をつぶって置いて下さっているとうちの親父に教えて貰いました。
考えてみればたかが病院へ行くのに愚痴を聞かされた。
たったそれだけの事でどれくらい因縁を切って頂けたのか分かりません。
その中を神様だけをみつめて歩んで来た事がどれだけ自分にプラスとなったのか測り知れません!
なんて有難い事なのか!

これがもしも逆に、本当にいい人で、こっちの為に親身になってくれる信仰上にも頼りになるひとだったとしたら?

神様よりも所長をめどにして、決して自分から神様の思いを求めようとかしていないでしょう。困った事があればなんでも所長に相談し、それを全て信じて解決していました。
自分の心を磨いてくれる人も見当たらず、所長の優しさに甘んじて、恩ばかりが積み重なっていた事でしょう。

あの所長であったからこそ、困った時は自ら神様の思いを求め、辛い中も喜びの心を持つことができたのです。

今はまだ夜明け前の仮の道と教えて頂きます。
本道が始まればきっとそんな人達には通るに通れない苦しみの日々が訪れる事でしょう。
それまでは大変な事も多々おありでしょうが、成ってくるのが天の理です。全て神様を信じてお通り願いたく思っております

偉そうに長々と語ってしまい、失礼しました

投稿: | 2012年8月23日 (木) 10時36分

今の天理教の身分制度はひどすぎます。
江戸時代の身分制度みたいに、生まれながらにしての身分制度が強すぎます。本部青年、大教会の息子たちは、祖先の恩恵に甘え、世間知らずもいいとこです。前世の行いがいいから楽して通れる?井の中の蛙もいいところ。何が世界たすけのあらき棟梁か?彼らを指導する教育者もほとんどいないし、あらき棟梁と甲子園で校歌を斉唱する天理高校野球部も暴力集団、婦女暴行集団といわれていいます。
早く改革しないと・・・・本当に残念です。

投稿: 身分制度 | 2012年7月16日 (月) 22時48分

お忙しい所 お返事ありがとうございます。 私は母方の祖母からの信仰です。祖母と母は岡大教会系統の教会信者でした 母は 結婚したのですが 私の父の義理の叔母が熱心な他系統の信者でした。 結婚当時 私の父は用木ではないのに そこの教会長が 母に相談なく勝手に教会変更したので 仕方なく 他系統の教会信者になりました。そこの教会は 大阪府にあったのですが 私が高校生の頃に近所に 引っ越してきました。
私は最近母に 教会が引っ越した理由を聞くと
教会が神殿の上に部屋を創り 大教会長様から お叱りを受けて 当時の奥さんが自殺したので、 そこには住めず 熱心な父の叔母の住む 私達の近所に越してきました。との事でした
元々 親神様への信仰心がある教会だとは 思えません。 神殿の上に 人間が生活する部屋を わざわざ創るのは 神様を平気で踏みつける事ができる信仰心です。 大教会長様がお叱りになるのは当たり前です。
親神様 おやさま めどうに 信仰されてる教会も
神殿の上に部屋を創る教会も 同じ教会だとは 恥ずかしくはないですか?

天理教の信仰 親神様おやさまへの信仰心を伝えるなら
まずは教会長の信仰心を 親神様おやさまへ向ける教会長だけが 教会長の資格があると思います。 最近の異常気象は 神の立腹 だと思います。 みかぐらうた おやさまひながた 天理教教典の 知識を 親神様おやさまが御望みの いちれつ兄弟 互い立てあい助け合いの陽気ぐらし ではなく
上級教会にいい顔をして 人の不幸につけ込んでお供えだけ取り上げて おさずけはとりつがない教会がある事実を知って頂きたいです。

投稿: ひまわり | 2012年7月13日 (金) 11時20分

ひまわりさん、コメントありがとうございます。
返事が遅れてしまい申し訳ありません。
「所属教会で幸不幸が決まる。」
確かにそうかも知れません。しかし、何故そんな教会長の元へ行く事になったのでしょうか。それは、人が決めたのではなく、全て神様が決めて下さった事だと思います。
自分も両親は岐阜の生まれなのに、ちょっとしたきっかけで愛知県に引っ越して、現在の布教所に来ています。
神様が引き寄せて下さったとしか思えません。

その人の因縁に合った教会。

失礼な言い方かも知れませんが、それは悪い事ではなく、素晴らしい事ではないでしょうか。
人間はつい目先の幸せばかり考えてしまいがちですが、今の幸せに何の意味も有りません。

「にち/\にをやのしやんというものは たすけるもようばかりおもてる」
(日々に親の思案と言うものは、たすけるもようばかり思うてる)

神様は人間を真から救けたいと思し召し下さると教えて頂きます。
人間にはご存知の通り、前生からの因縁があります。その因縁を切るために通り返しの道を通らせて頂かねばなりません。
「ああして通らせて頂こう、こうもさせて頂こう」
それも結構ですが、所詮は人間が考えた事。そうでは無く、全て神様に凭れ、全てを神様にお任せして、自分は成ってきた事をたんのうの心で受け取らせて頂く事が大切では無いかと思います。
下のコメントにも書きましたが、一番辛いのは、何も知らない子供に苦労させなければならない神様だと、父が教えてくれました。
本来なら、今すぐ子供を幸せにしたい。しかし、それでは通れないほど人間には魂の徳が無いと聞かせて頂きます。
その為に神様は心を鬼にして苦労の道を与えて下さるのだと教えて頂きました。
辛いものは辛い。
でもその辛さを十分に味わい、これも神様のご守護だと、満足の心で受け取らせて頂く「たんのう」の心が大切だと思います。
それが、教祖ひながたの道を通らせて頂ける事になるのではないでしょうか。
偉そうに語ってしまい、申し訳ありません。
陰ながら応援しています。

投稿: 藤太郎 | 2012年7月 2日 (月) 13時12分

とても熱心に おやさまの御教えを求めて いる方が おられるのは 久しぶりに心が暖かい気持ちになりました。 ありがとうございます。
只 天理教信仰は事実上 所属教会で 信者の幸福と 不幸が決まるのです。 私が所属していた教会長は 嘘が上手で 上級教会にとりいる事しか頭になく お供えの要求はしても おさずけには全く来ない人でした。 その教会の子供達は近所の人にも挨拶を返さず無視をする子供達で 噂もあり
私の母は あの教会の信者だと知られるのは 恥ずかしい。 とよく言っていました。
立派な信仰心を持った先生方が 貧しい服を着て 日常の天理教教会の生活態度や 近所の評価を 正しい目で見て頂きたく思います。水戸黄門様のように。
それができないなら 信者が自由に教会を選べるようにして頂きたく思います。 お忙しい所 私の愚痴っぽい 元信者のコメントを読んで頂きありがとうございました。 無理はしないでくださいね。 神様からの大切な借り物です。辛すぎるまで辛抱なさらないようにして頂きたいです。

投稿: ひまわり | 2012年6月29日 (金) 02時00分

コメントありがとうございます
気付くのが遅れてスミマセン

人に強要されるのでは無く、真実のお供え。素晴らしいですね

投稿: 藤太郎 | 2012年3月21日 (水) 20時49分

私は毎月、所属教会に数万のお供えをさせて頂いていますが、生かせて頂いている感謝の気持ちと、天理教の救災隊の活動資金、憩いの家の改築費用等、少しでも世の中の人達のお役に立てればと思いさせて頂いています。ある意味募金のような物ですが。
組織である以上、現実お金は必要でしょうから。

投稿: | 2012年3月18日 (日) 15時11分

しんじさん、コメント有難うございます
確かにちょっと口悪かったかな~と自分でも少し気にはしていたところでした。
やはり言いすぎでしたね、気分を害するどころか、ご注意下さった事感謝致します。

以降、記事を書く時はその点も注意して書いていきたいと思います。
有り難うございました


投稿: 藤太郎 | 2012年3月10日 (土) 21時10分

あなたのブログをほぼ読ませて頂きました。
なるほど、本当にいい事が書いてあり、納得しました。あなたの身上の事も、喜びの心で通っておいでで立派だと思います。
しかしながら、少し人の悪口が目立ちます事が残念です。
辛い中、つい感情的になってしまうのも無理ないかも知れませんが、あまり気分のよいものでは有りません。
神様も喜んでは下さいません。人の悪口は十代の罪と教えて頂きます。お互い気を付けたいものです。
気分を害してしまっていたらすみません
失礼しました。

投稿: しんじ | 2012年3月 9日 (金) 17時17分

ちゃちゃさん、返事が遅れてスミマセン

>私は、教会には行けなくなりましたが、日々の生活の中>で、人を思いやり、親親を大切に…
>優しい心で、穏やかに過ごしたい…
>と思います。

とても立派な事だと思います。頑張って下さい。


>こちらで、心の中の『モヤモヤ』を聞いて頂けて、スッ>キリしました。

僅かながらもお役に立てたようで、何よりです。

投稿: 藤太郎 | 2012年1月28日 (土) 21時50分

リエポンさん、コメント有難うございます。
なるほど、信者にお供えしろと言う教会は要するに生活費が足りないからというのもあるのですね。
まか確かに生活するのにお金も必要ではありますからね…

それにしても、ですよねぇ。
教祖は赤貧のどん底に落ち切られやっと手にした米も、何の惜しげもなく人に施されたと、
その中を勇んでお通り下さったと、誰もが聞かせて頂いた話なのに…

父は人間を立てる信仰ではなく、神様を立てる信仰だと教えてくれました。
教祖も「神さんめどやで」と教えて下さいます。

貴方の仰る通り、神様と自分の一対一の信仰心が大切なのでしょう。


本文にも書いた通り、長年所長に苦しめられたボクらは、ついつい神様を見失っていました。所長に気をとらわれず、神様だけを目標として進むように父に励まされました。
そして去年出直しました。

今現在、上級教会より、留守番先生としてある先生が一ヶ月に十日間来て下さいます。
本当に立派な方で、こんな布教所にこんな素晴らしい先生が居ていいのか?というくらいです。
ただ、立派な先生でも逆に神様を見失ってしまうものなんですよね。
「その先生について行けば」と、先生をめどにしてしまいそうで…

いつでも神様をめどに頑張っていきたいと思います。

リエポンさんも随分苦しんでいるご様子
どうか負けないで頑張って下さい
陰ながら応援します。

投稿: 藤太郎 | 2012年1月28日 (土) 21時44分

うちの教会では、足が痛いと
「教会に行く事に不足を言ったから」
と言われ、頭が痛いと言うと
「高慢な気持ちが有る」と言われ、
商売がうまく行かないと
「お供えをケチったから」と言われ、
全てネガティブな考えでバッサリ切られます。
とにかく周りの人の陰口ばかり。
いや〜な空気が漂ってます。
結婚したばかりの時お供えの額が
すごくてびっくりしました。
一日500円しか貰えなかった貧乏な生活で、
10万円もお供えしていたんですよ!旦那は…
こっそり減らすと
「お尽くしを減らすとその倍生活が苦しくなる!」
て脅されて怒られました。
ついでに…お供えの為にサラ金で
借金までした人の事を
尊い行いみたいに話して聞かせたり、
とどのつまりは、
4人の子供を育てる為には10万円ないと
無理という本音トークまで聞かされました。

会長は、仕事にも就けず
毎日酒浸りです。
ヘビースモーカーで、
お昼まで毎日寝てます。

教会をやってる以上職に付けないそうです。
奥さんも働いていません。
5家族分のお供えで
教会を支えています。

働かずに教会の事だけやって
毎日プラプラして良いんでしょうか…。

一家の主は、額に汗し一生懸命働いて
家を守るのが正しい姿だと思います。
社会の一員として税金をしっかり払って
健康保険年金を払う!これは、国民の義務ですが、
うちの教会は低所得者として免除してもらってるようです。
情けないです。

まだ若いのに…働き盛りの30代で、
夫婦2人昼まで寝て午後は、公園でぼーっとしたり
お酒を飲んでグダグダしてます。

私の知る限りほぼみんなどこの教会も
同じかんじです。

よその教会の会長は、
平日の昼間、ブランコに乗って
魂をぬかれてしまったような顔でボーっとしていました。
ほぼ毎日の光景です。
周りの地域の人の目はいかがな物でしょう。
大の大人が情けなく、
天理教会の会長のだらしなさをさらけ出しています。

せっかく良い教えを説かれていてるのに
もったいないです。

働く意欲をそがれる天理教のあり方に
疑問を持ってなりません。

産後、体調を崩し産婦人科にかかった時
優しい言葉もかけてくれず
「女としての優しさがない!人間失格!前世の因縁がわるい!」
と会長含め信者のみんなに言われました。
教会は私にとって辛い場所です。
陽気暮らしなんて無縁な場所だと思います。
最終的には、どんな話も
お供えをケチったからと言う結論で終わるので
よっぽどなんでしょう。

一ヶ月に10日ほど行事が有るとして
その10日の為に金金になってるのだとすれば
なんとかしないと、評判は、悪くなるし
お嫁さんもきませんよ!
もっとも跡継ぎになる人も
いなくなるんじゃないかな〜

衰退して行くばかりなりです。


個人的に神名流しは、
やめた方が良いと思います。
暗くって時代にそぐわないと思います。

商売上白い目で見られるので
私は参加してません。
お店のお客さんは、
通る度不気味がってます。

天理教の信者として
率直な意見を述べさせてもらいました。

他にも言いたい事一杯!

私も信者の端くれ
これからも神様と私との
一対一の信仰は続けて行こうと思っています。
ちょっと悪口過ぎたかな………慎みまーす。
神様ごめんなさいね!

投稿: りえぽん | 2012年1月24日 (火) 21時07分

藤太郎様、早速のコメント、有り難うございます。

そうですね…
私は、天理教の教えが嫌になった訳じゃなく、天理教の『組織』に嫌気がさしたのです。
『おたすけ』に行く為に、高級車は必要ないし、お供え額を指定するなど、もってのほかだと思います(泣)
私は…
今の天理教縦社会の組織が嫌ですし、勿論、自分の所属教会や、主人が所属していた教会の腐った現状が嫌で、見ているのが辛い…
と言うか、現実として、自分がその嫌な渦の中に居る事に堪えられなかった訳です。

本当に、あなたのおっしゃる通りです。
折角、天理教を信仰していても『心得違い』では…残念で、勿体ないですよね。
私は、教会には行けなくなりましたが、日々の生活の中で、人を思いやり、親親を大切に…
優しい心で、穏やかに過ごしたい…
と思います。

こちらで、心の中の『モヤモヤ』を聞いて頂けて、スッキリしました。
ありがとうございました。

投稿: ちゃちゃ | 2011年12月26日 (月) 06時47分

なるほど、かなり辛い思いをされたようですね。
そのように法外な額のお供えを強要する教会がきっとまだ幾つも存在するのでしょう。考えられませんね。

しかし…
一千万で助けてやるとは恐れ入りますねぇ…
たすけてくれるのは人間ではなく神様ですよね。
もう完全に心に神様が無い証拠ですよね。神様よりも自分を信じてしまっている。


ただ、貴方は天理教を辞めたと仰いましたが、ボクはまだまだ貴方が天理教を辞めたようには思えません。

確かに教会には行かなくなり、形としては「天理教を辞めた」
のかも知れません
しかし、「天理教を信仰」するのは辞めてはいないのではないでしょうか?

天理教とは教会に参拝したりお供えする事が天理教ではないかと思います。
逆にいくら教会に参拝し、お供えをしていても信仰しているとは言えない人もいます。

貴方は前のコメントに「おやさまが大好き」「困っている人がいたら助けたい」と仰っていました。
神様を信じ、教祖の教えを尊び、助け合いの心を忘れない。それは十分「天理教を信仰している」と言えるのではないでしょうか?

「純粋に、おやさまが大好き」
「困っている人を助けたい。」
ボクには貴方が素晴らしい信仰者であるように見えます。

頑張って下さい。


投稿: 藤太郎あ | 2011年12月24日 (土) 14時11分

藤太郎さま、私のコメントを読んで下さって、ありがとうございます。

あなた様がおっしゃる通り…私も…
所属教会の会長が代わり、教会の『やり方』や雰囲気が悪くなっても、それでも、自分は、教会長のご機嫌を取りに参拝に行く訳ではなく、
あくまで、神様に参拝に教会へ足を運ぶ訳で。
ある意味、会長が…奥様が、どんなに酷くても、神様信じて、親様の教えが好きで、会長が代わった後も、この10年、教会へつながってきました。

ですが、真面目に信仰を考えれば考えるほどに、矛盾ばかりが頭の中を支配して、精神的にも、肉体的にも、疲れ果て…
挙げ句には、自分の家族、主人や子供にまで迷惑をかけてしまいました(泣)
実は…
私と主人は、天理教で知り合って結婚しました。
主人も、信者家系の三代目で…中学生の時、少年ひのきしん隊で一緒になり、仲良くなって文通を続け…
高校生の春のつどいでも一緒に『おぢば』へ帰り、正式に、お付き合いが始まり…
8年間の交際を経て、結婚。
仲人は、私の所属教会の前会長夫妻です。

主人は普通のサラリーマンですが、結婚当初は主人も、天理教の行事に参加しておりました。
ですが、主人の弟が病気になり、主人の実母が所属教会長から、
『1千万円、お供えしなさい!でなければ、息子は助からない!1千万円で助けてやる!』と言われて…
主人の母は、そんな大金を用意できる訳もなく、悩み悩んで、自分が死んで、その保険金で1千万円お供えする!!
と、自殺をはかりました。
幸いな事に…
命を絶たずにすみましたが、こんな事があってから、主人は、天理教に不信感を持つ様になり、段々と天理教から距離をおく様になりました。

主人の家系は、今現在、誰も天理教を信仰しておりません。

主人の実家で参拝していた教会は、私が参拝している教会とは、全く別の所です。
同じ県内ですが、大教会が違います。

主人の実家は天理教から離れて…
今は皆さん平和に普通の暮らしをしています。
母も、弟も。

私は、主人にうしろめたい気持ちで…
自分の所属教会へ参拝を続けて、お供えをして、隠れる様に、教会の行事に参加していました。

主人は、とても優しい人です。
が…私が教会の事情で悩みぬいて体調崩して、教会の会長奥様のご機嫌とりながら教会へ参拝するのは、もう、見ていられない!!
もう、教会へ行くのは止めてくれ…
と言われました。
ある意味、私が天理教を抜ける、教会へ行かなくなったキッカケを主人が作ってくれました。

最初は…怖くて怖くて。
天理教をやめて、何とも言えない恐怖感がありました。
やめたら恐ろしい事が…罰が待っているのか?!と。

ですが…親神様の教えは、人間に罰を与える信仰ではない、恨みつらみの信仰ではないし、、、
私は…どれだけ、現会長や奥様に『洗脳』されていたのだろう?!
と、思いました。

私は今だに…
天理教の『教え』は好きです。
が…それを伝える陽気ぐらしの道場であるべき教会が、腐ってる。
神一条ではない現状。
本当に…本当に…
残念です。

投稿: ちゃちゃ | 2011年12月22日 (木) 04時21分

ちゃちゃさんコメント有難うございます。

今は時間があまり無いので全文読んではいませんが、時間のある時にじっくりと読ませて頂きます。
また、折角コメント頂いたのに返事が遅れてしまった事、お詫び致します。


軽く流し読みさせて頂きましたが、お気持ち凄く分かります。本文にも書いた通り、うちの布教所も長く君臨し続けた所長に、我ら入り込み者はかなり苦しめられて来ました。


ネットを見ているとそう言う人種は多いようですね。
天理教の指導者でありながら、人を苦しめている人達。
人間である事も疑わしいような人達。

ボクはその手の人間を「プレシャス」と呼んでいます。
プレシャスとは「貴重な」と言う意味。
何故そんなカスみたいな人が貴重なのか…


うちの所長はおもてヅラは良いので、参拝に来る信者さん方は所長を信じている方もいますが、毎日のように来て下さるコアな信者方々は内情をよく知っています。

「入り込み者の皆はよく耐えられるね。出て行こうとは思わないの?」と聞かれた事もあります。

確かに正直言うと出て行きたいですよ。

他所の布教所に変わりたいですよ。

所長は「お前らが居なくても布教所は困らないぞ、出て行きたければすぐに出ていけ」とかほざくけど、実際に皆が出て行って一番困るのは彼なんですよね。

そんな簡単な事を考える事も出来ない所長に思い知らせてやりたいですよ。(まぁ、彼の場合はそんな事を言ってもボクらに出て行く気が無い事を知ってて言ってるんですけどね)

所長から離れたい気持ちは皆ありますよ。

でもボクらが信じているのは所長ではなく、神様です。
苦しめよう、困らせようと言う神様ではないと聞かせて頂きます。

「にんけんもこ共かわいであろをがな
  それをふもをてしやんしてくれ 」
「にち/\にをやのしやんというものは たすけるもようばかりおもてる」
(人間も子供可愛いであろうがな、それを思うて思案してくれ)
(日々に親の思案と言うものは、たすけるもようばかり思うてる)


と聞かせて頂きます。
苦しめようと言う神様なら「やってられっか!!」と、所長を2.3回殴って今すぐ荷物をまとめますが、親神様は我ら人間をわが子として、たすけたいばかりだ、と言う事ならそこは考え直します。


苦しめる神様ではないのであれば、今の現状はなんなのか、こんなに苦しんでいるのは何故なのか?
ただの偶然では有りません。

成って来るのが天の理ですから、きっと一列をたすけたいと思し召し下さる神様に考えがあっての事。

言わば、神様からの試練です。
ボクらも辛いです。
でも一番辛いのは何も分らない可愛い子供にそんな道を与えなければならない神様だと、父親は教えて下さいました。


少し話が逸れるようですが、ボクには可愛い甥っ子と姪っ子がいます。

もうすぐクリスマスなので甥っ子達が喜ぶようなプレゼントを買ってあげたいばかりですが、信仰するものはやはり小さい頃から恵まれてはいけないと言う考えから、いつも買ってあげるのは500円程度のお菓子です。

先日妹とその話をしておりまして、やはり妹も同じ気持ちでした。

本当はすんごい物を買ってあげたい。
でも、子供の将来の為を思うと買ってあげないのが子供の為だとは思う。
でも他人の玩具を見て羨ましがる姿を見るのは辛いのだとか。
で、どうしても買ってあげてしまうらしいです。


うちの両親はボクら兄弟にお菓子や玩具はあまり買ってくれませんでした。
子供に買ってあげるのを我慢して、毎月十万お供えしていた(お供えを強要されたのでも無く)そうです。

家族の生活レベルを下げ、子供達に買ってあげたい気持ちを抑えてのお供えです。頭が下がる思いです。
ボクにそれをやれと言われても無理でしょう。

僕らの徳分を考えるとそれぐらいでなければ通れなかったと思います。


話を戻しますが、神様も同じだと思います。
子供を今すぐ幸せにしてやりたい。

そう考えるのが親と言うもの。
それでは通れない因縁を持つ子供のために、心を鬼にしてこう言う道を与えて下さるのではないでしょうか。

それを考えると本当に有り難く、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

折角辛い思いをして与えて下さっている道を、人間の方から拒否してしまってはいけません。

神様はたんのうの心が大切だと教えて頂きます。

辛いものは辛い!苦しいものは苦しい!
でもその苦しみを十分に味わい、神様の御守護と受取るのがたんのうだと、父は教えてくれました。


ボクがプレシャスと呼んでいる人種は、(本文にも書きましたが)神様が一時的に置いているのだと教えて頂きます。

人間は隔てなく神様の子です。プレシャスも例外ではありません。因縁の心に負けて汚い心を使っている子供を今すぐ出直させてやり直させて上げたい所を、世界一列をたすけると言う、大目標の為に目をつぶって置いてあるのだそうです。

それを考えると、自分の心を、因縁を磨いてくれる人達です。
神様が心を砕いて置いて下さっている人達ですから、本当は有難く、貴重な存在なのですね。

どうか今の現状を神様の御守護と理解し、辛い中も神様に感謝して、神様だけを目標に心を倒さずお通り頂きたく願っております。


長々とえらそうに語ってしまいました。
お許し下さい。

投稿: 藤太郎 | 2011年12月22日 (木) 00時13分

私は先日、天理教の信者をやめました。
悩みに悩んだ末、決めました。
私は、天理教の信者家系の三代目で、私が天理教をやめても、祖母と母は、まだ信者(ようぼく)で毎日教会へ日参しています。

私は…
天理教をやめたからといって、祖母や、母との縁を切った訳ではありません。
祖母も母も…理解の上の事です。

何故、信者をやめたのか?!

私の所属教会の、現会長夫妻に、嫌気がさしたからです。
教会内部の、ぐちゃぐちゃな人間関係に、疲れてしまい、心労で、体調まで悪くしたからです。

私は…
いや、私の母も祖母も、他の信者の皆さんも…
み〜んな、前会長夫妻の時からの『仲間』で。
皆さん、とても良い信仰仲間でした。

前会長夫妻が、教会をしきり、会長夫妻だった頃には、本当に皆が助け合い、明るく陽気で、人の集まる教会でした。

10年前…
長男夫妻が、現会長になり、徐々に教会の雰囲気が変わり、信者さんも、一人減り、二人減り…
今では、月次祭の『おつとめ』の手が足りないほどです。

現会長夫妻は、、、
私は、信仰うんぬんの前に、人として、もう信用出来ません。
前会長夫妻が築き上げた土台の上に、あぐらをかいている感じです。
何せ…
この10年で…新しい信者さんは誰もいない。
皆さん、前会長夫妻に引き寄せられた信者ばかりで、高齢者が多い。

一番に、見ていて辛かったのは、教会内部の揉め事が絶えない事で。

要は、嫁姑問題。
今の『奥様』が、関西の大教会役員家系から嫁に来た、とっても強い方で…。
今の会長は、奥様の言いなり。召し使いのよう。

前会長夫妻は、もうご高齢で…お二人とも持病があり、今現在、体があまり丈夫ではありません。

それなのに…
嫁姑が、、、と言うか、嫁の奥様が一方的に前会長婦人に辛くキツくあたるから、回りの信者は、見ていて辛いのです。

挙げ句のはてに、ご飯も別々です。
前会長夫妻…持病がある老夫婦が、嫁にご飯の支度もしてもらえずに、毎日、信者さん達が持ち寄るおかずで、細々と食事をされています。

ですが…
信者が前会長夫妻を慕えば慕うほど…
奥様は、前会長夫妻に、辛くキツく当たります。
本当に、酷いです。

前…天理時報で読みましたが、『いかなる事情があろうとも、教会は、土地所の手本雛型となる、陽気ぐらしの道場でなければならない。』
とありました。

自分の所属教会の事情を考えると…
本当に、有り得ない、酷い状態で。
正直…一般家庭より酷い。

天理教の教えで言うならば…
育ての親よりも、嫁に行った先が『本家帰りの実の親』なのでは?!

会長も会長で…
嫁の尻に敷かれ…
挙げ句には、信者にお供えを要求しながら、自分は働かず高級車に乗り…
訳がわかりません。

私は、天理教の信者をやめて、所属教会には行けなくなりましたが、
おやさまの教えは、大好きです。
皆が、まあるい心で、葡萄の様に繋がれば…
純粋に、おやさまが大好きです。


最後に…
私が教会へ行かなくなってから、奥様が、私の母に対してキツく当たったり、シカトしたりしている様で。

やはり…信仰うんぬんの前に、一人の成人した大人としてのモラルを疑いますし、
そういった事が、天理教でいう『おしこみ』なのか?!
私には理解できません。

せっかく、信仰していて…ましてや、教会の奥様なのに、残念でなりません。

私は天理教の信者をやめても、困っている人がいたら助けたいし、親親を大切に生きていきます。

投稿: ちゃちゃ | 2011年12月11日 (日) 00時31分

orat-nihsさん、素晴らしいコメント有難うございます。
そうですね、本当に心が大切ですよね。

親神様の思し召しにかなうにはどうあるべきか

そうですね、いつもそうやって神様を心に置いて通らせて頂けたらいいですね。参考になる意見を有難うございました。


またいつでも来てご意見頂けると幸いです。

投稿: 藤太郎 | 2011年8月31日 (水) 20時26分

突然、失礼します。

興味深く読ませていただきました。

お供え、おつくしについては、天理教が最も誤解される点であると思います。一方で思いきりつくすことで多くの人が助かったというのも事実です。

おやさまのひながたはその行動がひながたであると同時にそれに伴う心がひながたなのではないでしょうか。つまり、周囲から見たら難渋にみえる状況の中にあってもご守護を感じ、人をたすける心を持ち続けることにひながたを見いだすべきでしょう。
しかし、人間とは浅はかですから、ときには自らを追い込まなければひながたをたどることはできないかもしれません。かく言う私も天理教を信仰する者とはいえ、ひながたとは程遠い生活を送っていると思います。
たすけ一条…。非常に難しい問題ですが、人をたすけるために天降られた親神様の思し召しにかなうにはどうあるべきかお互いが研鑽させていただきたいものです。

投稿: orat-nihs | 2011年8月18日 (木) 18時28分

ttさん
もうお互い何を言っても一歩も引く気はありませんね。
これで終わりにしましょう

いずれどちらが正しいのか分かる時は来るはず。

最後の質問、答えてくれて有難う御座いました。
質問しておいて無視するわけにもいかないので一応はお礼を言っておきます。

投稿: 藤太郎 | 2011年7月19日 (火) 21時40分

【そうやって人に強要されてお供えするのが「我が身を省みない己を捨てた心」ですか?
人に言われるがままにやる事が「我が身を省みない己を捨てた心」ですか?】

そうです。それについては何の疑いもありません。自分に害を加えようとする者、金銭を奪おうとする者に逆らわず、殴られたらお礼をいい、金を出せと言われたら感謝して差し出すべきです。これは親神様の見解です。

投稿: tt | 2011年7月17日 (日) 21時32分

歯痛のおさとし有難う御座います。

僕では応えられず、力に成れなかったところでした。


見るも因縁、聞くも因縁と教えて頂きますので、この場でこう言う話を聞かせて頂くのは、僕にも何か同じような心得違いが有ったのかも知れません。

有難う御座いました

投稿: 藤太郎 | 2011年7月17日 (日) 13時23分

ttさんからのコメント有った事に気付かず、返事が遅れてすみません

確かに教祖のひながたこそ正しい生き方です。
そしてそれは、お金をお供えするなんて単純なものではありません。

人を救ける時、かしもの、かりものの話だけを伝えればいい。余計な事は言わなくていい。と言う教祖のお言葉。
「人にさせようと思う心はいかん。人にさせようと思うと自分の行く道が無くなる。まず自分が通りなされや。」と言う教祖のお言葉は無視なさるんですね?
また、教祖は自分が通っていれば黙っていても後から人がついて来る
とも教えて下さいました
それも無視ですね?

あなたと話をしていると最初から喧嘩腰なんで勘弁頂けませんか?
口論する為のブログではないので
こんな言い争いは神様が喜んで下さいません。
あと、お道を辞めろなんて間違っても人に言ってはいけませんよ。

最後に、
【そうやって人に強要されてお供えするのが「我が身を省みない己を捨てた心」ですか?
人に言われるがままにやる事が「我が身を省みない己を捨てた心」ですか?】

この質問だけお答え下さい。

投稿: 藤太郎 | 2011年7月17日 (日) 13時00分

歯は口の中にあるものから見て、まず内々つまり家内、職場など組織内の治まりについての手引きと悟れる。組織の治まりは各自がわがまま勝手をせず、一つに合わせることによって得られる。
また、歯は噛合ってこそ租借が出来るもの。したがって1本では役に立たずかえって邪魔になるようなもの。
このことからみて、内を治めること、人に合わせること、物事をただ大きく捉えるのではなく、細かく砕いて租借すること。
また、痛みとは不足の現われ。
また、右側は神の残念、立腹で悪。左側は未来の注意、警告で善。
また、今世や前世までの因縁も関係しています。
しかし痛くなる歯があるだけ結構なことです。歯が無くなった人は痛みはありませんが、どんなご馳走を食べても味気なくなってしまいます。

投稿: | 2011年7月17日 (日) 09時21分

しんちゃんさんコメント有難う御座います。
折角の御質問ですが、ブログのタイトル通り自分自身、心得違いの多い人間でまだまだ未熟の為、人様の心得違いを正すだけの力はありません、申し訳ないです。
ただ、どんな事も神様のご守護、成って来るのが天の理と聞かせて頂きます。
おさしづに
[いんねんのさんげえ(懺悔)は、たんのうより無い。]
[不自由の処たんのうするはたんのう。徳を積むと言う。受け取ると言う。これ一つ聞き分けにゃならん。]
[たんのうと、いかなるもたんのうと。]
とあります。
何が違うか僕には分かりません、ただ「何が違う」も大切ですが、それよりもまず、たんのうの心だけは忘れない事が一番重要では無いかと思います。

http://fuji-taro-1976.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-9fa4.html

あまり答えにならなくて申し訳ありません。
僕自身まだまだ修行の身です。

投稿: 藤太郎 | 2011年7月16日 (土) 21時33分

歯痛の時は心遣いは何がいけないのかさがしていてたどりつきました。
右なのですが教えて下さい☆

お金もうけはどこの宗教でもありますね。
いたずらギツネの悪さなので常に神様に通じる心を持っていないとどうしても沢山のお金に囲まれると金かねとなる人が多いです。

天理教でもキリスト教でも仏教でも同じですよね。目先の得より損して徳を取れ、これは風水の教えも同じです

神様に通じる道は一つですが心の使い方は自由と言う訳ですね。

投稿: しんちゃん | 2011年7月16日 (土) 15時34分

ひながたこそ人の正しい生き方です。そして万人のひながたです。ほんみちは始めは苦労の細道です。あなたはその入口に立ち、自分が入らないばかりか、入ろうとする人の邪魔をしています。
あなたは天理教をやめたほうがいい。

投稿: tt | 2011年7月16日 (土) 08時25分

ttさん、コメント有難う御座います。

>我が身を省みない己を捨てた心に神様が踏んばってお働>きくださるんです。どんな絶体絶命の因縁だろうと。

はい、まさにその通りだと思います。
我が身どうなってもと言う気持ちが自由自在の守護を頂けるのだと、僕もそう思います。

「我が身を省みない己を捨てた心」ですよね?

>おやさまのひながたを相手にも通ってもらうんです

そうやって人に強要されてお供えするのが「我が身を省みない己を捨てた心」ですか?
人に言われるがままにやる事が「我が身を省みない己を捨てた心」ですか?

みかぐらうた
七下り目
むりにどうせといはんでな
そこはめいめいのむねしだい
九下り目
むりにでやうといふでない
こゝろさだめのつくまでハ

教祖は「来る者にいねと言わん、来ん者に来いとは言わん」と仰られました。
「人にさせようと思う心はいかん。人にさせようと思うと自分の行く道が無くなる。まず自分が通りなされや。」とも仰って下さいました。

人に強要する道ではありません
人にやれといわれて通る道でもありません

教祖のお言葉や原典や教典など見てもお金をお供えしろとか、させろと言う話はありません。
教祖は飽くまでご自身が貧のどん底の中をお通り下さいました。教祖は人に貧のどん底の中を通らせて人を救けてきたわけじゃありませんよ。

我が身を捨てた心と言うのを教祖のひながたから思案させて頂けば、人に苦労させるのでは無く、自分が苦労する事が己を捨てた心と言えるのではないですか?

投稿: 藤太郎 | 2011年7月15日 (金) 21時23分

突然おじゃまします。
SAWAさんのいうとおりだと思います。お金さえ手放せればあとは簡単です。人が殺しあうぐらい執着しているお金ですよ?手放すことが重要なんです。神様が受け取らなくとも手放したことは事実です。神様が金を受け取るわけないでしょ?あなたはお供えを受け取ってもらおうとして出してるんですか?そもそも神様の物なのに?神様の物を自分の物にしてはいけませんよ。我が身を省みない己を捨てた心に神様が踏んばってお働きくださるんです。どんな絶体絶命の因縁だろうと。

よく思い出してください。おやさまは全てを施されました。これがひながたです。ひながたの道がたすけ一条です。あなたは自分だけお利巧さんでいたいだけに見えます。たすかってもらうにはおやさまのひながたを相手にも通ってもらうんです。手を引いて救い上げるんです。人を死に物狂いでたすけたことありますか?あなたのような生ぬるい信仰こそいい迷惑!

投稿: tt | 2011年7月15日 (金) 17時46分

水辺のすてねこさんコメント有難うございます。
不快どころか、共感頂けたようで嬉しいです^^

>その時、はじめて救ってくれた教えに対し、何か返さなくてはと思うのが普通ですよね。

まさにその通りだと思います。
それが本当のお供えと言えるのではないかと。
古い人の話を聞くと、「あの人立てろ、この人立てろ、会長だから、所長だから言う事聞け」とか。そんな間違った話が今の天理教には蔓延してます。
人を立てる道ではなく、神様を立てる道です。
立てられるだけの力も無い人が追従によって立てられるからこんな組織になってしまったのではないかと思います。(かなり爆弾発言してしまいましたが(゚ω゚;A)

>それがお金であったり、または、その教えを他の方にも教えてあげようという行動だったり。

スイマセン、ちょっと感動しました。本当にその通りだと思います
お供えしろと言われてお供えするより、それこそ神様が喜んで下さる行為だと思います。

ポチも有難うございます。
またいつでもお越し下さい。歓迎します。

投稿: 藤太郎 | 2011年7月14日 (木) 11時10分

こんにちは。
宗教はあまりわかりませんが、
興味深く読ませてもらいました。

仏教も神道も維持していく為にはお金が必要です。
神社、仏閣を維持していく為にお金は必要なもの、
教えを説くにも、冊子を作ったりなど、お金もかかることでしょう。
だからといって、お金を要求するというのは商売以外の何物でもないような気がしますね。
助かりたいから、病気を治したいから、お金を出すとというのは、病院にお金を出したり、物を買う感覚ですよね。
仕事としての仏教、神道ならそれでいいと思います。

>お金をお供えさせて救けたと言う話は聞いた事がありません。

そうですね!

教えを頂き、それで心が救われる事が全てに繋がるような気がします。
病は気から申しますが、心が救われれば、病もよい方向に向かっていくのではないでしょうか。
その時、はじめて救ってくれた教えに対し、何か返さなくてはと思うのが普通ですよね。
それがお金であったり、または、その教えを他の方にも教えてあげようという行動だったり。


>自分の体なら心臓や血液など、自分で動かせますか

親神様からの借り物というお話、なるほどなと思い読ませていただきました。

子供の頃のお話など、目を通しましたが、堅いお話ではなく、今時の語り口で読みやすかったですね。

何も解らないのに、自分の感じたことだけをコメントしました。
不快なところがありましたら、お許しくださいませ。
それでは。(´∀`*)ノ

ポチして行きますね。\_ヘヘ(・ω・´;)。o○ポチットナ。

投稿: 水辺のすてねこ | 2011年7月14日 (木) 09時33分

sawaさんへ
一つ言い忘れました。

>病の元は心から~心得違いは出直しや(みかぐらうた)
>お金を出せといえない布教師は、どうやって人を助けるのですか。

その心得違いをさとし、天理教の教えを理解してもらい、その人を救けたいと真実に神様に願う。
それがお救けではないでしょうか
あなたの言い分ですと金を出せと言うしか人を救ける手段が無いように聞こえますが、金をお供えさせるだけでお救け出来るなら誰でも出来ます。
僕のような未熟者でも今日から立派な布教師です。

少しトゲのある言い方で申し訳ありませんが、お金をお供えさせるのはお救けではないと思います。

投稿: 藤太郎 | 2011年7月12日 (火) 10時47分

コメント有難う御座います
確かにお金をお供えするのも大切かも知れません。
しかし、教祖は人を救ける時、かしもの、かりものの話だけを伝えればいい。余計な事は言わなくていいと仰られました。
おさしづにも
[互い/\たんのうの理を治め。第一身上不足なってたんのうは治められん。世上の理を見てたんのう。これさい十分聞き分けたら、鮮やかであろう。]
とあります。
かしもの、かりものの理。そして、たんのうの心
これが一番大切な事ではないでしょうか?
天理教被害の掲示板を見ますと、借金してまでお供えを要求されたそうです。
お金をお供えするのはその人の真実の心だと思います。金額では有りません。
「これだけお供えしろ」と言われてお供えするのがその人の真実ですか?
お供えしろと言われたから、仕方なくお供えする。病気を治したいから、よくなりたいから、そんな気持ちでお供えしたお金を神様は喜ばれるんですか?
そんな神様なら信仰は遠慮させて頂きます。

教祖のお話に、お金をお供えさせて救けたと言う話は聞いた事がありません。
逸話編にそのような話が有りましたら教えて下さい。

投稿: 藤太郎 | 2011年7月12日 (火) 09時24分

病の元は心から~心得違いは出直しや(みかぐらうた)&
教祖は執着を去るために大切なものを次から次へと施された(教典、教祖伝)→執着がついて、一番汚いのはお金です。ですから命に次に大事なお金ですが、思い切って身から離しなさい。

先人のお話を読んでみると、これぐらいは言えないと、相手は助からない。助からないと信仰は始まらない。
お金を出せといえない布教師は、どうやって人を助けるのですか。

投稿: sawa | 2011年7月11日 (月) 23時48分

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