2015年10月14日 (水)

ブログ引っ越します

移転先のブログ
http://kokoroetigai.hatenablog.com/

今までこちらのココログでお世話になって来たのですが

以前より機能性の問題でココログからの引っ越しを考えてました。
文章書いていて、改行するのにわざわざエンターキー押しながらでないと改行が反映されなかったり、改行しても一旦下書き保存すると改行が全部無視されていたり



他にも不便な事盛りだくさん

以前より検討していた事なのですが、今回記事を書いている最中に途中まで書いていた文章が何故か消えてしまった事が有り、いよいよ決心しました。
引越し先のブログサービスは色々悩みましたが、このブログは残したままで、今後は「はてなブログ」で更新させて頂きます。
 

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前生因縁のさんげ

先月の23日

 
急病で病院に運ばれました。
 
 
今まで入り込み者として長年お世話になっていた布教所から社会へと出た。
布教所の信者を辞めた訳では無く、住み込みを辞めたのです。
 
兄の知人からアルバイトの誘いを頂き、就活しながらのアルバイトが始まった訳だが、アルバイト4日目に朝からどことなく体調が悪く、まあ半日くらいなんとかなるだろうと判断。
 
しかし、段々具合は悪くなる
それでも後2時間くらいならどうにかなるだろう、後1時間程度ならと少々無理をしていた。
 
 
その無理が駄目でした。
 
 
 
どうにか仕事を終え、帰路につく頃にはもうフラフラ。家に付いたら昼も食べずに直ぐに床に入る。
 
そこから少しずつ意識も朦朧してきて、夜になって家族も帰って来たらしく、何やらボクの事で周りがザワザワし始め、気がついたら病院のベッドの上でした。
 
 
道中父親に背負われていた事や、車椅子に乗ってた事
周りで知らない人が騒いでいることとか…(今思うと医師と看護師の方々)
 
どうにか記憶に残ってるけど、ほとんど意識ない状態だった。
 
 
 
医者の診断は急性副腎不全。



救急で運ばれた時、延命治療になったらどうするかとまで聞かれたそうです。
本当に命が危なかった。
 
 
実はその数日前
父から「前生に教祖を恨んだ因縁が有る」と言われました。
 
 
 
世界救けの道の為の教祖のあるご決断が、前生のボクには不都合で、教祖を恨んで通ってしまっていた。
 
恨むには相応の理由があれど、世界救けの為の教祖の尊い決断が有ってこそ今の道が有るのであり、それを恨んでしまった因縁は何がなんでもお詫びしなければならない。
 
 
 
そう聞きました。
 
 
前生の因縁と言われましても、当然記憶など有りませんので、さっぱり分かりません。
 
しかし、何よりも神様を立てきっている
どんな事もおさしづに従って通っている父の言うことなので、きっとそうなのだろう。
 
 
心を落ち着けて想像してみました。
一体教祖にどれほど深く、尊い思いが有ってのご決断だったのか
それを恨んでしまった事がどれほど愚かだったのか
分からないながらもお詫びをさせて頂きました。
 
急病で倒れたのはその数日後の事でした。
 
そうして夜、病院に運ばれ、どうにか一命をとりとめた次の日の朝、父がふと目にしたのが以下のおさしづだったそうです
 
明治二十三年九月二十三日
小梶与兵衞三十六才身上願

さあ/\第一身上の事情尋ねる。長らえてどうも一時身上不足なりて一時という。大抵話の理も聞かしてある。身の処どういうものと思う。長らえて信心すれども、身の処どういうものと思う。思うは一つの理であろう。よう聞き分け。親が子供憎い親はあろうまい。救からんやならんが一つの理や。それに身上ならんというは、よう聞き分け。めん/\の身上程大事なものあろまい。大事の身上不足なるは、いんねん一つの理。いんねんの理いと言うて分かろまい。分からんからたんのう一つの理が第一。世上の理を見てたんのうと心定めるなら、前生一つのさんげとなる。よく聞き取りて諭してくれ。

 
 
親が子供憎い親はあろうまい。救からんやならんが一つの理や。
このお道では、苦しめよう困らせようとの神様では無いとお聞かせ頂きます。むしろ世界一列を救けたいばかりと思し召し下さる我々人間の親であると聞かせて頂きます。
しかし、人間には前生の因縁や、幾重にも積み重ねてきてしまった残念の理が有ります。
それを不問とする訳にはいかず、必ず果たさなければならないものとお教え下さいます。
 
いんねんの理いと言うて分かろまい。分からんからたんのう一つの理が第一。
前生因縁と言っても誰にも記憶など有りませんし、自分の力で因縁を果たす事など誰にも出来ません。
どんな事も成ってくるのが天の理とし、神様に凭れ、どれほど辛い事も満足たんのうの心で通らせて頂く事が前生因縁のさんげと聞かせて頂きます。
 
 
父から前生因縁の話を聞き、分からないながらもさせて頂いたお詫びを神様が受け取って下さったようです。
 
 
そうして身上の障りを頂き、それをたんのうの心で受け取らせて頂く事で、前生の因縁のさんげをさせて頂けるのです。
 
 
世上の理を見てたんのう
世間の方々はこれが親神様の有難いご守護だと知る事は出来ないでしょう。
 
また、天理教を信仰していても、もし自分がおさしづに触れる機会が無かったらどうなっていたか。
人間の理を立てて、どうすれば良くなるかと人に伺い、あの理この理と案じてばかり、余計に神様の思し召しから離れてしまっていたのでしょう。
 
残念の理も果たさず、神様のご守護をたんのうの心で受け取れず、たすかる事ばかり願っていては人として末永く生かされる為の最低条件さえ捨ててしまうと教えて頂きます。
 
 
おさしづに触れ、形だけながらも神様の思いを求める事の大切さを知る事が出来たお陰でそれが神様のご守護であると知る事が出来ました。
 
たんのうとは今の苦しみを十分に味わい、満足堪能させて頂く事だと教えて頂きます。
 
ボクがしっかりたんのうの心で受け取らせて頂く事が出来たかどうか
自分では分かりません。
 
自分では今の苦しみをよく味わい、これから先、良くなろうと悪くなろうと、この身を全て神様にお任せしてたんのうの心で受け取らせて頂いたつもりでは居ます。
 
もしかしたら心のどこかで喜べない心を使ってしまっていたかも知れません。
 
 
それでも、こうして身上の障りによって前生因縁のさんげをさせて頂けるという事、それを分からせて頂けた事は本当に有難い事なんだと実感させて頂きました。
 
 

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2015年9月30日 (水)

再開します。

またこのブログを再開しようと思っております。

とりあえず今回は再開の挨拶だけ。

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2015年1月17日 (土)

毎日少しずつ

最近はすっかりお道の心が抜けてしまっていました

おさしづの勉強をさせて頂きたい
しかし、ついつい自分の好くことに走ってしまい、お道から逃げまくっていました。

完全に抜けた今、またかつてのように毎日おさしづを読もうとする気力を取り戻すのはかなり難しいでしょう。 今でもこう書いていながらゲームを始めたいばかり…

でも、いつまでもそんな事言っていては前に進めない

神様の思いを求めて自分なりに努力し、このブログを定期的に更新していたあの頃に戻る為
まずは一歩踏みだそうと思います。


今ブログを更新しようとしても、上っ面だけの内容しか書けないでしょう。







そこでこんなブログを始めました






いつかまたこのブログを更新出来る日が来るまで

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2014年5月27日 (火)

申し訳ありません

前回の記事は削除させて頂きました。

コメント下さった方々、申し訳ございませんでした

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2013年11月17日 (日)

畑の前にビックリな物が!

当布教所には離れが有りまして


畑の前…というよりは横といいますか。



数ヶ月前に引っこ抜かれた木の根っこが置いてあって

その根っこの前に大変丁寧な置き方である物が置かれて居ました
Cocolog_oekaki_2013_11_17_11_46
全体をかなり適当に図にするとこんな感じ
木の根っこに優しく囲まれるように置かれていたその正体は
なんと!!


ビールの空き缶…


側溝や畑の付近
要するに、入口から近い所にゴミが捨てられているのはよく目撃されますが…
あんな所に捨てたということは
ワザワザ10メートルほど歩いて丁寧に置いていってくれたようだ
そこまで歩く労力を使うのなら、同じくらい歩けば自販機の横に空き缶のゴミ箱があったんだが…
ちょっと目立たないから仕方ないか
でもそこまでしなくても入口付近にでも置いてってくれれば始末したのに( ̄▽ ̄;)




そのゴミ
ありがとうございます!喜んで始末させて頂きます!




空き缶は資源ゴミなので、洗って捨てさせて頂きます


ゴミを見せて頂けた
目が見える親神様のご守護に感謝!
ゴミを流しまで持って行けた
親神様からお借りしている体に感謝!
ゴミを洗う事が出来た
親神様の水のご守護に感謝!








え?



「藤太郎ごときがそんな心遣い出来るわけがない」


とか思ってません?
いや、ボクでも思ってます
ゴミを見せて頂けた
目が見える親神様のご守護に感謝!

ゴミを流しまで持って行けた
親神様からお借りしている体に感謝!

ゴミを洗う事が出来た
親神様の水のご守護に感謝!

↑これはちょっと言い過ぎました
こんなことまで考えられる心持ってません



でもゴミの後片付けは喜んでさせて頂く事が出来た



なぜか!
その答えはこちら
父から教えてもらった心遣い



一瞬だけ「オイオイ」とかちょっとよぎったけど

すぐに切り替え、喜んでさせて頂く事が出来た




世間に居たらこんな心遣いでゴミ拾いなんて出来ません

いや、むしろ捨てられたゴミを目立つ場所に置いて

「自分のゴミくらい自分で始末しろ!」


とでも書いた看板立てて

意地でも自分では片付けなかったでしょうね。



そして不足した分は自分にも降りかかって来ます



しかし、こうしてお道の上にお連れ通り頂き
曲がりなりにもお話を聞かせて頂いているお陰で


こうしてどんな事でも(上っ面だけですが)喜びの心で受け取らせて頂く事が出来る



その心が神様にお喜び頂けるのであればこんなにも素晴らしい事はない



なんて…
そんな事を、空き缶を洗いながら柄にもなく考えて居ました。

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2013年7月16日 (火)

おさしづにお伺い

先日ふと気になった事が有ったのでおさしづにお伺いしました。

心を落ち着けて、余分な人間心を出さぬよう、真に神様のお心を求める気持ちで開く
必ず何か教えて下さいます。


神殿でお願いをして、手に取ったおさしづの本のページを適当に開く

しかし、全く関係無さそうなおさしづが出ました。


何か真実が足りなかったかも知れない
もう一度心を落ち着けておさしづを開いたところ、まさにそのお伺いにピッタリなおさしづが有り、その件は無事に済みました。

教えて頂いた事をお礼してその場はそれで終わったのですが、どうしても引っかかる事が有った。



それは、最初に開いた全く関係無さそうなおさしづに書いて有ったお言葉
「妬み嫉みが醜い」
というようなお言葉でした
(偶然開いてそのまま閉じてしまったため、何年何月何日のおさしづか覚えてない)
ボクはどっちかと言えば、良くも悪くも(自他共に認める)ドライな性格
嫌なことが有っても大抵の事はすぐにどうでも良くなってしまうし、空気も読むのも下手

妬みだの何だのとはほぼ無縁な性格だと自分では思っているので、全く心当たりの無いおさしづ




何故そんなお言葉が突然出てきたのか

今まで読ませて頂いた中でそのような言葉は滅多に出てくるものでもない


それだけに印象に残り、もしかしたらあれは親神様がボクに何か教えて下さっているのではないか。


あまりにも気になったのでもう一度おさしづにお伺いしてみる。



しかし、これまた全く関係無さそうなおさしづばかりが開かれる。



これは一体どういう事か

そこでふと、自分の心に目を向けてみた

毎週、月水金はボクら入り込みの者が朝づとめの後にお話をする

ボクは神様にお伺いしながらも
「これは上手く行けば今度の俺の話の番でいいネタが出来るのではないか」
「しかも、あわよくば『ほほう!藤太郎がいい話をするじゃないか』ぐらいに思われるのではないか」
こんな汚い感情が入り混じっていました

これでは神様に受け取って頂けない!


よくお詫びをし、もう一度お伺いをする

あれはきっと神様がボクに何かを教えて下さっているのだから、しっかりと受け取らせて頂かねばならない。どうか教えて下さい。



そうお願いをして、ふと、手に持っているおさしづの本(閉じた状態)に目を落とす
すると、ほんの少しだけ隙間の有るページが有った

そこを開いてみる

そこにはこのように書かれていました

さあ/\又々話し掛ける。随分々々綺麗な/\、日々綺麗な事は誰も好く。くどいくどい話せにゃ分からん。何名何人の中、万事に一つの理が欠ける。治まりた心生涯の理治めるなら十分の理、何も言う事は無い。今まではそも/\であって、見難くうて/\どうもならなんだ。年限を待ち兼ねた。秋の大祭や、春の大祭や。待ち兼ねた/\。戻る子供の真実ありゃこそ、何事も無く治まりてある。これ働き有るか無いか、思やんしてみよ。可哀想に/\どういうもので、雨が降る風が吹くと思うやろ。よう思やんしてみよ。中に綺麗なものは誰も好く、神も好く。神も好くような心なら、こりゃ障りやどうやとは無いもの。これだけ早く諭したら、十分諭しあれど、ほんのその場だけ聞いただけでは、どんならん。これが第一どんならん。これより真を定めてくれるなら、何も怖わき危なきは無い。これからよう改めてくれ。何かの事もこれから、何人々々扱い、事務所、詰所、何人頭数あろが、笑うて暮らせば、何にも妬み恨みは一つもあらせんで。よう聞き分け。


今年の年頭の記事(アホアホでいいんじゃない)にも書きましたが、ボクは役立たずです。

そして弟は間に合う人間です。


大事な用事等は弟がよく頼まれます

ボクが目の前に居るのに「○○君は?」と聞いてくる
用事を聞くと「~を頼みたい」とか言う

おい!

そんなもん俺にも出来るわ!


そして雑用等はボクが頼まれる

目の前に弟がいたってわざわざボクを探してくる
用事を聞くと「~をやって欲しい」とか言う

おい!
何も俺じゃなくても弟がそこに居たんだからそっちに頼めばいいだろ!


毎回とは言わないが大体こんな調子
それがとても嫌だった



しかし、仮に俺が大事な用事を頼まれたところできちんと出来るのか?

何かしら一つ二つ抜けてる事が多い
毎日のやるべき事も出来てない事が有ったり


そりゃ相手にしてみれば不安の残る奴に頼むよりは、きちんとこなし、しかもよく気がつく方に頼みたいだろう
雑用なんかは他の用事で忙しそうな者よりも何だか雑魚っぽい奴の方が頼みやすいだろう

それは当然の心境

でもそれが気に入らなかった




ボクは知らず知らずのうちに妬みの心を使っていたのです

ボクは間に合う人間目指してここに居るんじゃない
神様にお喜び頂けるよう
僅かながらも神様のお役に立てるよう

それが目的のはず(それすら出来ていないのですが)



いつの間にか神様に残念に思われる心遣いをしていた

きっと神様はそれを教えて下さったのでしょう



「笑うて暮らせば、何にも妬み恨みは一つもあらせんで。」
先日弟がある方とちょっとした言い争いになりました

当布教所女性陣の裏ボス的存在の人です。

多分入り込んで30年は立つと思われる大ベテラン


普段は仲がいいのですが、ちょっとした事から言い争いになり、最後には弟が折れて謝っていました。
その時に父に相談したらしく、父からの言葉は
「皆仲良くが神の望みと教えて頂いている」
とのことでした。

その言葉から反省した弟は、それ以来態度を改めたのですが

確かに兄弟同士で醜い心を使いあっていて、きっと神様はボクらに残念な想いをしておられた事かと思います。


「笑うて暮らせば、何にも妬み恨みは一つもあらせんで。」


皆が笑って陽気に、助け合い、支えあって暮らす事が出来ればきっと神様もお喜び頂けるはず


そんな風に反省しました


▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼


ここで今更本題ですが


父の影響から
ボクは何か分からない事があればこうしておさしづにお伺いしようとする
「さしづ通りにすれば間違う事は無い」

とのお言葉もある通り、どんな事もおさしづにお伺いし、それに従って通ることが大事だと思います。


しかし、周りの人達を見ていると、身上事情を見せて頂くとおさしづを開こうとする人は殆ど居ません。


先生と呼ばれる立場の人達に「お練り合い」をお願いし、「先生」もまたおさしづにお伺いする事を知らず、「勤めを増やせ」「日参しろ」それで結果が出ないと「これだけ勤めているのに何故だろう」と悩んでいます。



神様がどのような想いで理を見せて下さっているか、それを自分の考えだけでものを言っている。
ただ「助かりたい、よくなりたい」で勤めていたって何の解決にもならないのではないか

子供救けたい親神様のご守護を有り難く堪能の心で受け取らせて頂く事が大切なのではないか
そんな風に思うわけです

それは父から沢山の事を教えて頂いているからこそそう思えるのですが…




黒きは黒き赤きは赤きに連れられ





と、おさしづに有ります


人間の理を立て、人間に従う人はそのまま人間に連れられるだけです

しかし、神様の直接のお言葉であるおふでさき、おさしづに従うなら、神様が連れて通って下さいます。
常に神様を心に置いて、おさしづに従って通らせて頂くならどんな時も神様にお連れ通り頂けると教えて貰いました。

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2013年6月19日 (水)

お守り

今月16日は久しぶりにおぢばへ帰らせて頂きました。
別席者の付き添いです。


一人お守りを頂く若い子が居ましたので、一緒にお話を聞かせて頂いたのですが…

かなり心打たれました。


天理教のお守りは、普通の神社等で買ってくるような軽い物ではなく、教祖が一度お召し下された赤衣の一部を自分の為に頂く、世界にたった一つの尊いお守り。

「ちょっと買ってこようか」 などといった簡単な物ではない。

この道を教えて下さる為に想像を絶する御苦労下さり、ひながたの道をお示し下された教祖から自分の為に頂く大事な大事なお守り。
それを忘れて押し入れの中にしまったままでした。



教祖がお召し下さった大切なお守りを、これからは常に身につけておきたい。



と、改めて考え直す事が出来た日でした。

その日は別席の待ち時間中に回廊ひのきしんをさせて頂いたんだけど…






これからはおぢばに帰る機会が有ったら是非サポーターを持って行かないと膝が痛くて最後まで出来なかった(´;ω;`)




久しぶりの更新でありながら随分グダグダな内容で申し訳無いですm(_ _)m

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2013年1月25日 (金)

天理教勉強会発足

とかカッコイイ事言ってますが、現在会員は








管理人、藤太郎一人です`。*:`( ゚д゚*)ガハッ!

しかし、これから少しでも多くの信者さん方が集まり、神様にお喜び頂ける話し合いの場にしたいと願っております。




おさしづに

銘々談じ合い、たすけ一条の台、たすけ一条誠一つの理、誠一つの理は天の理、天の理なれば直ぐと受け取る、直ぐと返えすが一つの理。



お道のために皆が談じ合う事を親神様はお喜び下さるのではないでしょうか。
そして、それが助け一条の台になると教えて頂 いているように思います。



すぐに人が集まるとは思いません。

暫くは自分一人だけの勉強会になるとは思いますが、人数を集める事が目的では有りません。

例え始めは小さくとも、神様にお喜び頂く事を目的とし、また、すぐにお道の心を離してしまう自分に喝を入れるためにも、この場を続けていきたいと考えております。



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2013年1月11日 (金)

アホアホでいいんじゃない

ボクは役立たずです




いきなり何だ?
って思うでしょうけど

軽い謙遜だろ?
って思うでしょうけど








本当に役立たずです
   

謙遜なんかでなく、かなり真剣に






男の入り込み者がボクら兄弟を含んで3人いまして

その中で一番古いIさんが行事の段取りなどの中心だったのですが…
そのIさんは次期所長となるべく、上級教会に勤めに行くことが多いので


代わりに中心となったのが、次に古いボク

…ではなく、ボクよりはるか後に入って来た弟でした。





そうしようと決定したわけではなく、ごく自然に








お分かり頂けたでしょうか





そのくせプライドが高く、軽く扱われるのが嫌いです


誰かが弟に何かを頼むと(それくらい俺にも出来るわ)とか…







恥ずかしながらそんな人間です。










ある朝の神殿朝掃除の出来事

信者Mさんは、ほぼ毎日来てくれるけど

何だかやる気あんのか無いのかよく分からん人





そのMさんが参拝所を箒でちょこっと掃いて

まだ皆がやってる最中にも関わらず、箒を片付けてそそくさと座ろうとする。いつもの光景




俺は先生の座布団を設置しようと収納場所へ行く






箒の置いてある場所と近い


箒を片付けようと歩いて来たMさんが俺に向かって言った言葉


「はい、これ片付けて来て」



「はあっ!!?」





「いや、今これをやってますので!」(キッパリ)

更に小さい声で、でもしっかりと聞こえるように


「自分で片付けろや!」







Mさんは苦笑しながら自分で片付けに行きました。




まったく! 今までお道の教えの何を聞いてきたんだ?


Mさんじゃなくて、俺!






低く優しく柔らかく

何度もそう教えて頂きながらなんでそれが出来ない?






確かにMさんのやる気の無さはちょっと酷い

しかし、彼も最近年を重ねて、体を痛めている

それを考えたらああなるのも分からなくも無い








教祖は阿呆は神の望みと教えて下さいました

あほうが望みと仰しゃるのやで。利口のものはつけん。人が小便かけたらならば、ああぬくい雨が降ってきたのやと思って、喜んでいるのやで。人が頭を張れば、あああなたの手は痛いではございませんかと言って、その人の手をなでるのやで。




ボクは役立たずです


まともな仕事で人の役に立てないなら、せめてそれくらいは素直にさせて頂こう



その方面で役に立てればいいじゃないか!





自分の不甲斐なさに落ち込んだ時だって有ったのに、何故ここで人の役に立てるチャンスを足蹴にするんだ?

いいように使われたって構わない

バカになってアホになって自分に出来る事をさせて頂こう!




それが神様が喜んで下さるのなら









・・・・・・なぁんて、ちょっとカッコよさげな事言ってみたけど





・・・簡単には出来ないだろうな~







高慢な心が邪魔をして






とりあえずそれが目標です


て事で、今年の抱負







Cooltext879897210
デカすぎた`。*:`( ゚д゚*)ガハッ!

まぁいっかw




エキセントリックと心得違い

どっちに書こうか迷ったけど、エキセントリックはどちらかと言えば日記なんでこっちにした

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«もう暫くの処、神一条の道にして了う。